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Soly japanese only.
書き物の部屋のイメージ オリジナルと二次創作を揃えております。拙い文章ですがよろしく(^_^)!
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 朝。作業場へと向かう楓と薫であるが、賑やかな声が聞かれないという、珍しい事が起こっていたのである。
「今日は、いつになく静かね」
「えっ? あぁ。気が重いからかなぁ」
「そう。どうしてかしらね」
「うっ。……だってぇ! 色を作る手順、まとめないとだめだし」
「そう。でも、自分で決めたのでしょ?」
 薫のその一言に、唸る楓である。察するに、自分で決めた事とは言え、苦手意識でもあるのであろう。
「うっ。そうなんだけどさぁ……。得意分野ではない、かな?」
「そうかしら? 以前、見せて貰った化学の説明書、随分と理解しやすかったわよ」
「えっ? そう? ……あぁ。でもなぁ」
「……そうね。学者向けと言うよりは、一般向けの内容だったのを覚えてるわよ。何を嫌がっているのかしら?」
「う~んと。いや、実験と同じで楽しいよ。復習みたいな所もあるしね。……でも、止まらなくなる」
「それは問題なのかしら? いい事のように思えるけれど」
「う~ん。伝わりやすいようにとか、絵があった方がいいかな、とか考えてるといつまでも終わらない!」
「なるほど。そういう事なのね。でも……。そうね、今回は大分切迫している様子も見られるようだから、確かに時間は惜しいわね」
「でしょ~」
 そう告げた楓は、肩をがっくりと落とし、口少なくとぼとぼと歩いて行くのであった。
 とぼとぼといつもより時間がかかって作業場に到着すると、「あぁ、付いちゃった」と情けない声を出す楓に、「入るわよ」と叱責を残して入っていく薫であった。
 “パン”と頬をたたいた楓が「しょうが無い、始めよ」と、気合いを入れたように見えたが、覇気の無い声を出すのであった。
「しょうの無い子ね。やるしかないでしょ」
「へ~い。あぁ~、パソコンがないんだっけ。しょうが無い、紙と書く物を持ってこないと。よっ。紙は、とりあえずこれくらいあればいいかな? ……まずは、真っ黒い液体作るところからかな?」
「楓。始めたところ悪いのだけれど、昨日作った液体はどうするのかしら?」
「あっ、忘れてた。う~ん、薫は状態を見て記録してくれると嬉しいかな?」
「分かったわ。後は、楓を待つことになるのかしらね」
「うっ。頑張って早く仕上げる」
「急ぐ必要はあるけれど、間違えだらけだと問題ですからね。貴方のペースでいいわよ」
「うん」
 この後「うわぁ、間違えた!」とか、「う~ん、これだと意味伝わんないかも」などなど、雄叫び、とは言わないものの慣れない“紙”への記述に悪戦苦闘する楓であった。
 数十分後……。
「フゥ~。遠心分離までは、まとまった、かな?」
「出来たの? 見せてご覧なさい」
「えぇ~。見せるのぉ」
「私も、その作業をすることになるのでしょうから、事前に目を通しておきたいわね」
「そうだね。……はい」
 恐る恐るまとめた紙を手渡す楓である。
 ここへの道中に、薫に褒められているとは言え、時間を余り掛けていないことからの不安でもあるのであろう。
「あぁ。遠心分離機、欲しいなぁ」
「そうね。あると作業効率は大分上がりそうだものね」
 キョロキョロと辺りを見回す楓であるが、「何も音がしないねぇ」と呟いていたのである。必要と考えた物が、どこからともなく現れ続けていたため、期待したようである。
「だめかぁ」
「……そうね。……手順としては、まとまっていると思うのだけれど、やはり絵があるともっと伝わりやすいのでしょうけれど、手描きでは難しいかしらね」
「えっ? 絵かぁ、パソコンさえあれば……」
「ないものを言ってもしょうが無いでしょ。それはそうと、この先はどうするのかしら?」
「あっ。気がつかれたか」
「まぁ、当然でしょう」
「そうだよね。これから考える」
「あっ!」
「大声を出して、どうしたのかしら?」
「しまった、最大の問題を忘れてた」
「何のことかしら?」
「原料だよぉ」
「……言われてみれば、盲点だったわね」
「いや、そんな大層な……。じゃぁなくて、場所はほぼ分かってるんだけど。さて、どうした物かなぁ」
「原料の状態、と言えばいいのかしら? それによって、最初の部分が変わることはないのかしら」
「う~ん。どうだろう。突飛も無い状態でないなら、あんまり変わんないと思う」
「そうね。でも、ここが地球ではないというのも気になるわね」
「それ言ったら、地球であるとも言ってたじゃん。まぁ、手順は良として、原料はどうしたもんか」
 腕組みをして、思案している楓であるが、購入ではなく、流しにあった奇妙な突起から出てくるのは、まず間違いないであろうが、今は出ていないのである。
 原料が某かの状態で、出てこないのであれば付着している物を削り取ることになる訳である。考えただけでも気が重くなるであろう。
 唸りながらうろうろする楓を、やや手持ち無沙汰で追っている薫がいたが、「ビーボー。ビーボー」と音量は小さいながらも、実験室いっぱいに広がる点滅する色に、「うわぁっ! 何?」とびっくりして立ち止まった上に、辺りを見回してしまう楓であった。
「落ち着きなさい。来客のようよ」
「ふっ?」
 薫の視線の先に、緑で点滅する突起を確認した楓であるが、「おっ?」と声を漏らすだけであった。
「……はぁ。もう忘れたのかしら?」
「え~と。何だっけ? これ?」
「……」
「え~と。おぉ、そうだ! 誰か来たんだよ、って誰?」
「……ここでは、毎日来るのは決まっているでしょ」
「……おぉ。ちょっと行ってくる」
 バタバタと慌てながら実験室を出た楓は、シクワンを伴って戻ってきたのである。
「それでは、状況についてお聞きしたいのですが」
「状況は、ひとまず色を抽出できそうだってことが分かった、位かな?」
「ん? え~と。それは色が作り出せたと言うことですか?」
「ん~。どうだろう」
「えっ? まだなんですか?」
「えっ? いや。どうかなぁ」
「どっちなんですか」
 シクワンに詰め寄られる格好となり、楓は少々困った表情を浮かべ、「薫ぃ」と半べそをかく始末である。
「……しょうが無いわね。シクワンさん。少し落ち着いて下さい」
「あっ! す、すいません。余り進んでいないようなので……」
「それは……。んん。シクワンさんが、何処まで理解できるかは分かりませんが、以前に失敗したと思われていた液体から、色を分離する所までは出来た、これが昨日の段階です」
「ん~。……すいません。それは、作ることが出来たのとは違うんですか?」
「どうでしょう。シクワンさん達が、何を持って出来たと認識するかによりますね」
「えっ? お二人が作って、出来上がるのではないんですか?」
「……なるほど。少なくともシクワンさんは、出来上がり……つまり最終の形を知らない、と言うことでよろしいかしら?」
「?」
 薫の言葉に、首を傾げてしまうシクワンがいたが、楓も同様のようである。
「楓はともかく、シクワンさんも分からないようですね」
「ちょっとぉ、楓ちゃんはともかくってあによ!」
「分かったわ。簡潔に説明しましょう。少なくとも、ここにいる三人は、どういう形になったら色が作り上げられたと判定するのか知る者はいないという事よ」
 薫の言葉を、じっくりと反芻でもするかのように、楓はうろつき始め、時折「あっ! ん~」と唸っている、一方のシクワンは俯いて微動だにしないのである。
 しばらくして「あぁ、そういう事か」と楓がポンと手を打ったのである。
「楓、何が分かったのかしら? 行って頂戴」
「え~」
「シクワンさんは、まだ理解できていないようよ」
「それは……酷いです」
「失礼。いじめるつもりはありませんよ。理解した楓に説明して貰いますから大丈夫です」
「うっ」
 視線が楓に集まるが、中でもシクワンはひときわ懇願でもするかのような表情であった。
「あぁ。え~と、色を作る、のはいいんだけど。これなら作ったよ、と確認できる人がいな……? あれ? ちょっと違うな。う~んと。……そうだ。ざっくり言うと、シクワン達に渡す状態が何か、でいいのかな?」
 そう説明する楓であるが、今ひとつうまい説明になっていないのが、首をひねっていることから覗えるのである。とは言え、大筋ではそういう事であろう。
 薫が言っていたこととは、何を以て完成、あるいは出来たとするのか、と言うことであり、それを判断する立場にあるシクワンが、それを把握できていない、あるいは知らないと言うことは、いつまでたっても出来たと言えないと言うことである。
「そうね。概ねいいかしらね」
「ぶぅ~。なんか、褒められてないような気がするぅ」
「そんなことはないわよ。……それで、シクワンさんは理解して頂けたかしら?」
「……なんとなく、ですが。戻ったら、長老にも聞いてみます」
「そうして頂けると、こちらとしてはありがたいです」
「それで。どんな状態なんでしょうか?」
 シクワンも、なんと無くであるようだが、薫の伝えたいことは理解したようで、現状がどんな状態であるのかを確認することにしたようである。
「なるほど。これは面白い。これが、分離した状態ですか」
「うん、そう。で、これをどうするかを考え中」
「?」
「どうしたの?」
「いえ、色が全体的に薄いような気がします」
「ふっ? きれいだと思うけど?」
「いえ、これはこれできれいなんですが、もっと濃くできませんか?」
「う~ん。それは多分、元の液体の所為だと思う。まぁ、原料が手に入れば調整できる、と思う」
「えっ? まだ原料は手に入ってなかったんですか?」
「あれ? 言ってなかったっけ?」
「え~と、どうでしたかね」
「そうね。入手できたとは伝えていなかったと思うのだけれど」
「あっ。べ、別にそれを問題にするつもりはありませんよ」
「あっ。薫ぃ」
「あら、ごめんなさい。シクワンさんの所為にするつもりはありませんよ」
「うーむ、どっちを先にすべきか」
「楓は、何を悩んでいるのかしら?」
「うっ? おぉ、分離した色の抽出か、原料を出す方か、どっちが先かな、と」
「そうねぇ。どちらも急いだ方がいいのでしょうね」
「むむむ。そうだよねぇ。とは言え、原料を確保した方が、後々いいかな」
 そう告げるや、件の出本と思われる実験テーブルの流し前に移動する楓であった。
「楓さん?」
「これがね、原料の出口だと思う」
「これ、ですか」
 呟く二人が見ているのは、不純物か原料の一部がこびりついた管状の物である。それは、蛇口と思しき状態で鎮座しているが、コックの類いが一切無い、それにもかかわらず何も出てきていない管である。
「で、いつものように、色を作る原料が欲しい! と考えると……」
 そう口にする楓は数分程、管を見詰めたのだが、「あれ? 何でぇ!」と叫び、隣にいたシクワンを驚かせているのである。
「楓。シクワンさんがびっくりしてるわよ」
「あ、ごめん」
「いえ……」
「むー。いつもならこれでいい筈なんだけど? 何で?」
「そうね。思いが足りないのではないかしら?」
「ん?」
「今のところ、原理は不明だけれど、どうしても欲しいという思いがあったから、その物が現れたのではないかしらね」
「ん~なるほど。……と言うことは、気軽に欲しいと思うのはだめって事?」
「そうなるかしらね。そうは言っても、どれほどの思いが必要なのかまでは分からないわよ」
「むむむ。あたしは、真剣に欲しいと思ったんだけどなぁ」
「楓。いつものようにと言ったでしょう」
「うん。言ったかも」
「多分、それが思いの不足した原因だと思うわよ」
「なるほど……。と言うことは、いつもならと思ったから、軽くなったって事?」
「そう考えるのが妥当でしょうね。気持ちは悪いけれど」
「薫ってば、またぁ。まぁ、なんとなく意味は分かった」
 呟きながら、何かを考える仕草をする楓であるが、原料が欲しいが失敗した要因を、それなりに理解したようである。しかし、説明され尽くしたとは言えない現状で、何処まで真剣な思いを持てるかが心配である。
「む~。よし!」
――原料が欲しい。原料が欲しい……。
 楓は、瞑想あるいは祈るかのように目を閉じ、ひたすら“欲しい”と願っているようである。
「……」
 そっと目を開けた楓は「何でぇ~!」と叫んだのである。何故か? 件の管状の物に変化は見られなかったからである。
「まだ足りないのぉ。がっくし」
「楓。願望として原料が欲しいと願ったのよね」
「う、うん。その筈だよ」
「……そうね。二度目ですものね、いつものようにと言う思いが減ったはずよね」
「あぁ、ひっどぉ~い。いくら楓ちゃんでもね、そんなことはない筈、だよ」
「あぁ。貴方って子は、どうしてそこで言い切れないのかしらね」
「あ、あの」
「……? 何? シクワン」
「何か、別の願いというか、思いが必要なのでは無いでしょうか?」
「別の?」
「えぇ。必要な物が、今までとは違うのでは、と思いまして」
「なるほど……。そう言われてみれば、“欲しい物“では無く“必要な物”、と言うことになるのかしらね」
「ふっ? どういうこと?」
「簡単に説明すると、紙、筆記具、椅子に始まって、これまで出てきた物は大部分が日常で使っている物。つまり、“これが欲しいな”という物ばかりだった筈よ」
「う~ん。確かに……。あっ! 消毒用のアルコールとか、アルコールランプの火種は違う」
「そうね。でも、それは実験時にはある程度であれば、“欲しい物”に分類されるのではないかしら」
「なるほど……。でも、“欲しい”とそうでない物の違いって何?」
「その時に、何を行っているかによるのかもしれないわね」
「?」
「……」
 薫の説明に、次第に難しい表情へと変わっていく楓とシクワンである。その中で、シクワンは諦めたのか表情が穏やかになっていった。一方の楓は、何かに思い当たったかのような晴れやかな表情になったのである。
「……あっ、そうか! 紙が欲しかったときは、棚の整理してたよねぇ。あっ。だけど今は実験中だよ?」
「そうなのよね。実験しているのだから、“欲しい”でもいい筈なのだけれど。……もしかしたら、原料は、特殊な物なのかもしれないわね」
「特殊、かぁ。……あぁ、確かに、欲しい以前に使わない人が欲しがってドバドバ出ても困るね」
「そういう事かもしれないわね」
「じゃぁ、原料がどうしても必要! 無いといろいろ困る! ……んー。まだ出ない?」
「出ませんねぇ」
「楓。液体とは限らないんじゃなかったかしら?」
「おぉ。そう言えば、そんな推測をしたような気が……。おぉ、出てきた」
「何ですか? 液体じゃないですよ」
「うん。予測通りだね、薫」
「そうね。化学的な解析が当たったようね」
「薫ぃ。その褒めてるようなそうでないような言い回し止めてよぉ。喜べないじゃん」
「あら、失礼。一応、褒め言葉よ」
「あぁ、もうなんか、落ち込みきれないもどかしさがある」
「それはそれとして、楓。そのまま出し続けると、流れて言ってしまうのだけれど、いいのかしら?」
「むぅ。それはって、酷いよぉ。……まぁ、ね。薫にしてみれば……。おぉっと、確かに。流し区切れるかな?」
 楓がそう言った途端、流しに仕切りが出来上がったのである。この結果から見ても、薫が語ったように何らかの繋がりはありそうである。
「うん。薫が正解みたいだね。流しが区切られたよ」
「そのようね」
「もう、薫ってば、そんないやな顔しなくてもいいじゃん」
「……」
「それで、楓さん。このままだと溢れませんか?」
「う~ん。その辺りは、どうかなぁ? んじゃ、一杯、じゃないな八分目まで溜まったら止まる。と考えれば止まってくれるかな? とは言え、ゲル状だからそれなりに時間はかかりそうだね」
 そう言った楓は、流しから離れて先の実験の続きに戻ったようである。
「さて。次は、色の濃さと分離した際の量だね」
「量? ですか」
「うん。だって今の量だと上下の色もすっちゃうよ」
「そう、なんですか?」
「確かに、ピンポイントで吸い出すのは、難しそうね……。分かったわ、その辺りは、楓の方が詳しいでしょうから、任せるわよ」
 薫に任された楓は、笑顔で“うん”と頷いて、何度目かの実験を始めたのである。
「上澄みの量を半分位にしてみたけど……。う~ん。まだ足りないかなぁ?」
「そうですねぇ。量的には、もう少しあった方が、無難な気もしますが、色は薄くなりましたね」
「おっ。シクワンも分かるの?」
「いえ、私の知識は少々怪しいとは思いますが、何でしょうか。なんとなくまだ不足している気がします」
 シクワンが、楓と並んで覗き込むように試験管内で分離した色を見詰めながら、初めて地球的な知識を披露したのである。それを聞いた楓が「おぉ~」と感心しきりだったのは言うまでもない。
 楓は、シクワンが興味を示したことが嬉しかったのであろう、嬉々として説明するかのように次の実験を始めたのである。
「よし。量的には上澄みは、試験管の2/3位だねぇ。色の濃さは、沈殿物を倍までにしたけど、シクワンどう?」
「そうですねぇ。色の濃さは、この辺りからこっちでいいと思います。分離量の判断は楓さんに任せますが、これなら問題ないと思いますよ」
「うん。大体1.5倍から2倍程度の量だね。よっしゃぁ! とは言え、もう溶解した液体が殆どなくなったよ。っていうか、ギリギリセーフだね」
「それは何よりね。また作るにしても、一晩おかないとならないでしょうし、そうなると、今日は分離は出来ないでしょうし」
「そうだね。さて、お次は、スポイト、スポイト」
「用意してあるわよ」
「おっ、さっすがぁ。で、ちょっと集中するから声かけないでね」
「分かったわ」
「分かりました」
 そう言った楓は、空気を抜いたスポイトを慎重に試験管の中に入れた。そして、目的である緑色の上の境目から若干下に当たる場所で挿入を止め、ゆっくりと吸い始めたのである。
「……」
 吸い出した緑色を、新しい試験管に移して、分離させた別の試験管を取り出し、今度は先ほどとは逆に下の境界付近から吸い出したのである。これを同様に新しい試験管に移した。
「ふぅ~」
「お疲れ様」
「いやぁ。しんどいよぉ。あぁ~」
「かなり集中していましたからね」
 まるでおっさんがするように声を上げて、どっかりと椅子に座った楓であった。相当に集中していたようである。
「楓。それではおじさんよ」
「もう、今はそれでもいい。づかれだぁ」
「あ、あのぉ。吸い出した色をこの、最後に分離させた物と比べたんですが、最初のは上の色に、次のは下の色に寄ってます」
「えぇ、うっそぉ」
 ぐったりしていた楓が、ガバッと上体を起こして、試験管を睨み付けるかのように見比べたのである。
「うわぁ~! だめだぁ!」
 疲れ切っていたのであろう楓が、大声で叫んだのである。シクワンがまたびっくりししたことから、どれほどの大声であったか想像できる。
「楓。その大声は止めなさい」
「……あっ。ごめん。でもなぁ、どうすべ」
「一層ずつ吸い出してみたらどうかしら?」
「えぇ~。それってすんごいしんどそう」
「そうだとしても、問題点を見つけないと先に進めないのではないかしら?」
「う~」
 がっくりと項垂れる楓を余所に、薫は腕組みをして返答を待っているようである。一方のシクワンは、何も言えずに唯々、椅子に座っているだけであった。
「……あぁ。しょうがない、やるかぁ」
 そう言った楓は、「スポイト、色の数だけないと色が混ざるよね」と呟くと、薫が「それもそうね」と答えて、色の数分を用意したのである。
「よぉし! やるぞぉ」
 深呼吸した楓は、徐に新しいスポイトを持って、上層から一色ずつ吸い出しては、新しい試験管に移し替えていったのである。
「……終わった」
「お疲れ様」
「もう、やだ。二度とやりたくないよぉ」
「……見ている私も、息が詰まっちゃいました。これは、よくないですね」
「でしょう」
「それでも、色としては、分離時とほぼ同じとみて問題なさそうね」
「でも、やだぁ」
 色は各色共、問題なく抽出できたようであるが、それを行う側の精神力に問題があることが判明、いや、最初から分かっていたことである。



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「もぐもぐ……。んっ。だぁ。さっきのは効率悪すぎるぅ」
「……」
「そうね。あれでは、実用に耐えないわね」
「でしょう」
 色の抽出に、ひとまず成功した楓達は、昼食となったことから食堂にやって来ていた。そこで、楓の愚痴に同調する薫と、何も喋らずに黙々と食事をとるシクワンがいたのである。
「何かいい方法は思いつかないのかしら?」
「そう言われてもねぇ。今まで学んだことからしか思いつかないしぃ。でもって、なんやかやだめだしぃ」
「そう。そうねぇ、吸い出すのではなく何か……、そうねぇ、別の水に流し込むのはどうかしら」
「う~ん。多分、分離していたのが混ざって戻るだけのような気がする」
「そうよね。元々、水に溶かしただけですものね」
 薫も食べる手を止め、右腕を左腕で支え、折り曲げた右の指を顎に当て、考える姿勢で楓に意見を述べるが、あっさりと否定されたのである。
「……あのぉ」
「何、シクワン。何か思いついた?」
「あっ、いえ。そろそろ結果が欲しいのですが」
「あぁ、そっちかぁ。……そう言われてもなぁ」
「シクワンさん。本日の実験を見ても尚、催促されるのですか」
 その一言で、薫の視線が鋭い物へと変わってしまい、シクワンはすくみ上がるのであった。
「あっ、薫ぃ。目が怖いよぉ。シクワン、もうちょっと待ってよ」
「あら、ごめんなさい。まだ、理解できていないように見えたから」
「……い、いえ。そう言う訳じゃないんですが……」
「薫ぃ。シクワンは化学を専攻していないんだし、ちょっと無理じゃないかなぁ」
「あら、それを言ったら、私も同じよ。それでも、大変であることは認識しているのだけれど?」
「うっ」
 シクワンをフォローしようとした楓であったが、余計にシクワンを追いつける結果となり、シクワンを俯かせ縮こまらせることとなったのである。

     *

 昼食を終えた楓達は、作業場に戻っていた。しかし、これまで昼食後に別れていたシクワンも一緒に戻っていたのである。
「シクワンが昼食後にこっちに来るのって、初めて?」
「そうですね。初めてですね」
「……分かったわ。長老からもかなり催促されているのでしょうね」
「あ、えっと……。その通りです。勝手な言い分なのは分かっていますが、此方も大分切羽詰まってますので、なんとかならないですか?」
「う~ん。そう言われてもなぁ」
「そうね。楓に頼るしかない現状で、おいそれと出来ないことがあると、理解して頂くしかないのが現実ですね」
「もう、薫はぁ。そんなこと言っちゃだめだって」
「それなら、楓はなんとか出来るというの?」
「それは、そうだけどさぁ」
「あ、あの。喧嘩は止めてください。無理を言っているのは、先ほど見せて頂いたことで理解してますので」
「……はぁ。しょうがない。やれそうなこと、思いついたことは全部やろう!」
「えぇと、それはどういう意味です?」
「ん? そのまんまの意味。何が成功するか分からないんだから、手当たり次第に実験するって事だよ」
「それで、早くなるんですか?」
 その質問に「分かんないよ」と、あっさり答える楓であり、頷くだけの薫であった。方やそれを聞いたシクワンは、諦めたのか、ため息をつき項垂れてしまったのである。
「さて。じゃぁまずは、薫が言った水に流し込むやつから行ってみよう!」
「楓、それは先ほど否定したはずよ」
「だから、言ったじゃん。やれることを全部やるって。正解を導き出す時間もないみたいだしね」
「楓。それでは、やけになっているのと同じような気がするのだけれど」
「まぁ、ある意味そうかも。でもさぁ、地球の知識で成否を結論づけてもしょうがないかな、と。だったら、その知識で思いついたことやるしか、残された道はない! なんちゃって」
「あぁ、本当に貴方って子は……。でも、そうね。シクワンさん達を待たせ続ける訳にも、ここで、あれやこれやと愚痴を呟いていても仕方がないわね」
「そういうこと、かな。さて、ビーカー、ビーカーっと」
 楓は、早速と器具を探し回り始めた様であり、楓の前向きな発言に、薫も少しは“この場所”について、懐疑心を持たないようにすると決めたようである。
「ビーカーに水を張ったし、最初に分離した方から入れますか」
 そう言った楓は、最初に遠心分離させた物を持って、ビーカーに流し入れたが。「あ、やっぱり」と予想通りの結果になったようである。
「あら、見事に混ざったわね」
「冷静な解説ありがとね、薫」
「おぉ、なるほど。見事に真っ黒ですね」
「うん。やっぱりだめだったよ」
「では、次ね。楓は何か何の?」
「え。もう」
「思いついたことをするのであれば、矢継ぎ早に行くのがいいのではないかしら」
「それはそうだけどさぁ。う~ん」
 薫に催促された楓であるが、「う~ん。だめ?」などと呟いている。どうやら、知識があることが弊害となっているようである。思いついても、結果まで考察する癖が抜けないのであろう、時折「あっ、だめだ」と呟いていることからもそれが覗える。
「楓」
「ん? あに?」
「思いついたことを実験するのではなかったかしら?」
「えっ? ……あ、そうか。いやぁ、癖って恐ろしいね」
「何の話をしているんですか?」
「あ、えっとね。思いつくことはあるんだけど、どうしても、その先の結果まで考えちゃうんだよね」
「それは、問題ですか?」
「んとね。思いついた方法を、私の知識で結論づけちゃうところまで考えちゃうと、何でもやろうって事にならないでしょ、と薫は言ってる訳」
「おぉ、なるほど。確かに、それだと試すことにならないと言うことですね」
「その通り」
「それで楓、いいかしら?」
「あに?」
「先ほどは水だったけれど、上澄みというのはだめなのかしら?」
「溶液の上澄み?」
「そうよ」
 薫に言われた楓は、即座に考えを巡らせ「! そうか!」と、目を輝かせて「流石、薫!」と言って別のビーカーに残り僅かな上澄みを入れて、いきなり実験を始めたのである。
「じゃぁ、これだね。入れるよぉ」
 そう言った楓は、二本目の試験管から、分離した液体を流し入れ始めたところ、一層目が溶液の中で油のように球体で分離されたのである。
 手を震わせた楓は、二層目、三層目と流し入れていった。
「やったぁ!」
「楓。見事に分離したわね」
「うん。やったよシクワン。これなら、精神的にも楽だよ」
「そうですね。吸い出しているときは、此方も息を飲んでましたから。でも何故?」
「そうだね、仮説だけど。真っ黒い液体が遠心力で分離したのは、上澄みだったし。沈殿する時、と言うよりは、真っ黒い液体になった時の方だと思うけど、水と何らかの化学物質が結合してたんじゃないかと」
「それは、この上澄みは水のように見えるけど水ではないと」
「そう言ってもいいかも。で、水と油と同じようだと考えると、上澄みと分離した液体の間に被膜が出来てるんじゃないかと」
「でも、別の色通しもくっつきませんが、これは?」
「分かんない」
「えっ?」
「今のだって、見た目からの大雑把な仮説だし、これ以上の研究は、ひとまずしなくてもいいと思う」
「大丈夫ですか?」
「そうね。最速で必要なのは、色なのでしょ? であれば、色が取り出しやすくなるまでで問題はないと考えますよ」
「確かに。でも、ちょっと気になりますけどぉ」
 楓と薫の説明に納得するシクワンであるが、どうやら元々持っていたのか、探究心が刺激されたようである。とは言え、抽出に向け、かなり進展したと言うことから、長老に報告に戻ることとなった。
「さて。こっちは、手順を再整理しよう!」
「何か手伝うことがあれば言ってね」
「うん」
 元気のよい返事をした楓は、整理中だった手順書の見直しと、抽出部分の書き直しを始めるのであった。
「え~と。これがこうで……。あ、間違えた」
 などなどと若干慌て始めた楓である。
「楓、慌てないで。シクワンさんも報告しているのだから」
「だからだよぉ。直ぐにでも始められるようにしておかないとさ」
「そうだけど、試験管も立てたままなのよ、気を付けなさ……」
 ガタッと音を立て、試験管立ての一つに腕がぶつかっていた。とっさに倒さないようにしたのだが、逆に楓自身の方向に倒してしまったのである。
「わぁ~!」
「楓!」



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「あぁ、もう」
「待ちなさい。楓は、そこを動かないで」
「拭く物持ってこないとぉ」
「未知の物質をばらまくつもり?」
 即座に動こうとした楓に、正当な理由を持って制した薫に対して、「あ、そっか。流石!」と呟く楓であるが、ため息をついて“情けない”と言わんばかりの薫であった。
「あぁ~。何でため息付くかなぁ」
「それは仕方がないわね。とっさだったとは言え、自分の扱っているものが、何であるか把握しないとだめでしょうに」
「え~。いつもこんな感じだよ」
「……そうなの? ……それでも、ここは地球ではないのよ? なんであれ、同じ挙動を示すと考えてはいけないと思うのだけれど?」
「むむむ。……分かった」
 そう返した楓はその場に立ち尽くし、薫は実験室から小部屋経由でトイレへと向かったのである。
 戻ってきた薫がブツブツと呟いていたのは、「雑巾の類いがないのね」と言うものであった。
「それは、最初の日に、あたしが言った気がする」
「……そう……ね。そうだったわね。でも変ね」
「あにが?」
「必要としているのは雑巾であるのだけれど、何故出てこないのかしら?」
「……? おぉ、そう言えば、何で?」
「……それはひとまずおいておきましょう。トイレットペーペーだから何処まで拭けるか分からないけれども、仕方がないわね」
 そう呟いた薫は、黙々と実験テーブルの上に広がった液体を、幾重にも重ねたペーパーで拭い始めたのである。合わせて「楓もこれで、服を拭いておきなさい」と一巻きを渡したのである。吸収性の高いペーパーである。あっという間に一巻きが終わってしまうと、つかいかけ以外のものを幾つか持ち込んで一通りテーブルの上の始末を終えたのである。
「こんな所かしら。楓。自分にかかった分は拭き終わったのかしら?」
「えっ? あ、うん。たぶ……ん? あれ?」
 突然、ダンッと音がしたのは、楓が両手をテーブルについたためであった。「楓?」と薫が漏らした時には、ややふらつきながら手をついて耐えている楓の姿であった。
「楓!」
 薫が叫んだと同時に、実験室内に赤色の明滅が広がったのである。
「ふっ? あに? この色……」
 ふらついているからなのか、状況が飲み込めない様子の楓。それは、薫も同じようであるものの、楓の傍までやって来て、「とりあえず、椅子に座りなさい」と楓の肩を抱くようにして椅子に座らせたのである。
「何があったのかしら?」
「う~ん。液体こぼしたから?」
「それだと、少し遅い気がするわね」
「そうだよねぇ」
「そう言えば、薫」
「何かしら?」
「顔色、悪いけど大丈夫?」
「? 何を言っているの? 気分は悪くはないのだけれど」
「そっか、ならいい。あれ? 実験室ってこんなにカラフルだっけ?」
 その楓の言葉に、薫は周囲を見回してみたものの、壁は最初から土気色のままである。何を言っているのかと訝しんだ様子である。
「何がありました?」
 突然、部屋に響く別の声に、薫と楓が声の主に顔を向けたのである。
「シクワン?」
「シクワンさん、どうやって入ってきたのですか?」
「えっ?」
 薫の言葉に驚くシクワンであり、矢継ぎ早に捲し立てる薫がいたのである。
「セキュリティがある筈で、私か楓しか実験室には入れないはずでは?」
「なるほど。確かにその通りですが、緊急の知らせが入りましたので、措置を執らせて頂きました」
「措置、ですか」
「……あっ! お伝えしていなかったのは、申し訳ないです。まずないことですので」
 薫の言葉に、とっさに怒られると察したのか、焦りながらも事情を説明するシクワンであった。
 椅子に座っている楓であるが、上体が左右にあるいはぐるぐると揺れている中で、「シクワンの顔、カラフルだね。塗ってきたの?」と訳の分からない言葉を並べ始めた様である。
「あ、あの。楓さん。大丈夫ですか?」
「えっ? あにが?」
「いえ。冗談とは思えないように聞こえますが」
「うん。冗談じゃないよ、そう見えるんだよぉ」
「薫さん」
「……振らないで頂けますか。私も先ほど言われましたが、化粧などここではしようがありませんしね」
「うぅ。そんな言い方をされても、困ります」
 薫に同意を求めたのであろうが、同意どころか相手にされないという始末であり、項垂れるしかないシクワンであった。
「そう言えば、緊急の知らせが入ったと言っていましたが?」
「薫さん……。そうですね、今も赤で点滅してますが、この状態になると、私たちにも伝わります」
「そうですか。覚えておきます。しかし、随分早いご到着でしたね」
「えっ、あっ。そう、途中で長老からの知らせがありまして」
 薫の睨みのせいか、それ以外に何かあるのか、しどろもどろになっているため、言い訳のようにも聞こえてしまうのであった。
「薫ぃ。あたしの目、変になってるのかなぁ」
 そう言いながら、目をしばたかせたかと思うと、今度は、ゴシゴシとこすってしまう楓であった。
「楓。何があったのか分からないのよ。目をいじってはだめじゃない」
「えぇ、だってぇ。景色が変なんだよ。ゆらゆら揺れてるし」
「それは貴方が揺れているからよ」
「えっ? うっそだぁ」
 笑顔でそう告げる楓であるが、「実験テーブルを見てご覧なさい」と薫に言われたところ、「おぉ! 確かに、これは変だね」と人ごとのような言い草である。
「と言うことは、楓ちゃんが揺れている?」
「先ほどから、そう言っているのだけれど」
「あははは」
「……しかし。どうしましょう。未だ、赤の点滅が治まっていません」
「それは、まだ緊急事態が収まっていない、と受け取っていいのかしら」
「はい」
「ねぇ、緊急事態って、さっきのこぼしたやつ? だったら拭き取ったから問題ないよね?」
「そういう事ね」
「ん? どういうこと?」
 楓の言葉に、顎に指を左手で右肘を支えた、思案でもするかのような仕草をする薫であった。
「楓が緊急事態という事よ」
「えっ? 痛くもないし、気持ち悪くもないよ?」
「あ、あの、楓さん。周囲の全てがカラフルに見えるんですよね」
「うん。そうだね」
「それって、緊急性というか、異常ではありませんか?」
「ん? これって、一時的じゃないの?」
「楓。それは分からないでしょうに」
「あんでよぉ」
「地球で、今の症状聞いたことないでしょ」
「うん、確かに。……じゃぁ、病気?」
「……残念ですが、私も聞いたことがありませんので、なんとも……。ですから、一時的かもしれないですし、永続的かもしれません」
「やだよぉ、どうしよう」
 只でさえ揺れている楓は、かなり焦っているのであろう、ぶんぶんと言わんばかりに上体が動き、「楓、落ち着きなさい。倒れるわよ」と上体を抱きしめる薫であった。
「シクワンさん」
「はい」
「病院に行きましょう」
「病院、ですか?」
「お医者さんに、見て貰うのが早いでしょ」
「え~。それは、どうなんでしょう」
「……まさか! 無いというのですか?」
「あっ。ちょっと待って下さい」
 薫の追求に、突然待ったを掛けたシクワンは、横を向いて以前長老がしていたと同じように、宙に指を這わせているのであった。
 しばらく指を這わせていたが、「薫さん。病院があります」と今し方知ったかのような言いように、疑念の思いが湧き上がる薫であった。
「……」
「あの、薫さん?」
「……いいでしょう。で、搬送はどのように?」
「え?」
「ですから、楓はふらついてますから、どうやって病院に連れて行くのか、と言うことです」
「あ、え~と。ちょっと待って下さい」
 焦りながら、再び、宙に指を這わせ始めるシクワンであった。
「はい」
「どうなりましたか?」
「あ、あのぉ。薫さん?」
「何でしょうか?」
「何か、怒ってらっしゃいますか?」
「怒っていませんよ」
「……薫ぃ。睨んでるよぉ」
「そう。……そうね。仕方が無いことだったわね」
「ほぉ」
「それで。どうやって病院に連れて行くのですか?」
「あ、それはですね。車椅子です」
「……」
「えっ? 間違ってますか?」
「……はぁ。それで、病院はどちらですか?」
「あっ。向かいにあります」
「! 前からありましたか?」
「え~と。あるんですよ。だめですか?」
 漫才のような遣り取りを経て、薫は降参したのであろうか、「いいでしょう。行きましょう」とだけ告げると、シクワンが慌ててロビーに出て、実験室に戻ってきた時には、どこかで見たような車椅子を押していたのである。

     *

 病院に入り、診察室と思しき場所で、楓を歩かせてみたのだが……。
「あれぇ。まっすぐ歩ってる筈なのにぃ」
「むむ。かなり危ないですね」
 一人で立たせた時点でふらふらと移動し、あげく歩き出しても右へ左へと回ることしか出来ない状態であった。
「あっ。危ないわよ」
「薫ぃ。ありがとう」
「いいわよ」
 その後、医者と思しき人物が、触診を行い、眼球を見て「ほう。これはこれは」と呟いたのである。
「先生。どうだったんですか?」
「うむ。体や喉は、今のところ症状はないようですが。目に関しては、どうやら何らかの液体が、気化でもしたのでしょう。皮膜のように付着してしまったようですね。それが涙腺から出た涙の影響で揺れているようです」
「と言うことは?」
「……あの分離した液体が気化して、分離したまま網膜に皮膜が出来たとすると……」
「そうですね。今も周囲がいろんな色に見えていることでしょう。更に、その変化を補正しようと三半規管に影響が出たと言ったところですね」
「それで、治りますか?」
「そうですねぇ。時間は必要でしょうが、定着さえさせなければ問題は無いでしょう」
「で、先生。結局なんて病気?」
「ふ~ん。色が変な感じに見えるようですからね。色彩変性としておきましょう」
「って、先生。今作ったんじゃ」
「はっはっはっはっ」
 笑って誤魔化す医者と思しき人物に、薫はあきれ返り、楓は困った表情となった。シクワンに至っては、何が起こったのか理解できていない様子であった。
「さて、藤本楓さん」
「はい!」
「元気はあるようですが、入院です」
「えっ?」
「……楓。一人で歩けないのよ。当然でしょうに」
「え~。つまんないよぉ」
「……あの」
「シクワン、あに?」
「わ、私が見舞いに来ますので、だめですか?」
「えっ? うん。ありがとう?」
「何故疑問形なのかしら?」
「あ、ん? 何でだろう」
「も、もしかして、私では不服、とか」
「ううん。そんなことないよぉ」
「とにかく、入院しなさい」
「うっ。分かった」
 渋々了承した節のある楓であるが、ひとまず色彩変性という奇妙な症状で入院することとなったのである。

     *

「ところで、シクワンさん」
「はい、何でしょうか?」
 楓を病室と思しき場所のベッドに寝かせ、薫とシクワンは作業場に戻ることにしたのである。その中で、周囲を、見回していた薫がシクワンに質問をするつもりのようである。
「随分と大きな建物のようですね」
「そうですね」
「病院なのですよね」
「え、えぇ」
「診療科が分からないのですけど」
「はい?」
「それと、患者さんも見当たりませんね」
「何を言っているのでしょうか?」
「本当にここな病院なのですか、と聞いているのですが」
「そう、聞いてます」
「聞いている? 誰に聞いたのですか?」
「もちろん、長老にです」
「そうですか。何事もなければ、私はよいのですよ」
「はぁ」
 歯切れの悪い返事と表情を浮かべたシクワンであるが、薫の意図は伝わっていないようにも見受けられる。果たして大丈夫なのであろうか。

~第八章 「危急」 完
縦書きで執筆しているため、漢数字を使用しておりますことご理解ください。
下記、名称をクリックすると詳細を展開します。
ふじもと かえで
藤本 楓
西暦2108年12月25日生まれ・身長/体重:165㎝/50㎏
職業:専課学校 基底学部化学科5年生

 藤本家の長女で、両親と三人暮らし。
 性格は、子供そのものと言える性格である。しかし、それは、喜怒哀楽全てを表現するためであり、20歳として知識、知能が低い訳ではない。また、人見知りもしないため、誰とでも仲良くなれる。
 食事、食べ物の好き嫌いはないが、ケーキなどの甘い物が好物。
ほんどう かおり
本藤 薫
西暦2108年12月25日生まれ。身長/体重:167㎝/50㎏
職業:専課学校 基底学部物理科5年生

 本藤家の長女で、両親と三人暮らし。
 性格は、母親のように優しく、時には厳しく、しかし、本質としては優しさを多分に持ち合わせている。楓にとっては、無くてはならない親友になっている。
 食事、食べ物の好き嫌いはないが、ケーキなどの甘い物が好物。
リーツ・シクワン・プト
生誕日不明・身長/体重:楓や薫と同程度/不明
職業:長老の側近

 長老に比べかなり若いが、丁寧すぎる言葉遣いをする。よって、相手を緊張させてしまう。
第二の不確定な場所
 人影がいる場所。
 特定の場所を示す有益な情報はない。
えりあ
エリア
 道州制を拡張改定した考え方で、太平洋側から日本海側を一纏めにしている。
 道州制の場合は、どうしても東京を中心に考えがちで、周辺の過疎化を避けられない弱点があったため、新たに提唱された思想。
 大動脈を地理的中心線に置くことができ、分散にも適している。
きかがっこう
基課学校
 基礎課程を学ぶ学校を指す。
 学問の基礎はもちろんのこと、忘れがちになる人間性を育む基礎も含まれている。
 21世紀の小学校、中学校が九年一貫教育に置き換わった物と考えてよい。
せんかがっこう
専課学校
 専門課程を学ぶ学校を指す。
 21世紀の大学、専門学校が置き換わった物と考えてよい。
 尚、入学年齢は21世紀の高校と同じ。よって、高校以上と言うことになる。
いりょうしつ
医療室
 専課学校の保健室は概ねこの施設。
 専門の学問を学ぶ上で、怪我、火傷等々学部によって緊急で治療が必要になることが希にある。
 そのため、それなりの設備が整えられていることから、保健室ではなく医療室となった。
びーびー
BB
 ”BB”は、Business Blockの略語で、企業を集中させたブロックになる。
 理由は、昔からあった共同開発を増やす狙い、若者を早い段階で社会に参加させる狙い、などにより、遠くより近くが良いであろうと言うことで、この配置を採っている。
 結果、集まった企業は、概ね専課学校の学部が中心となった。
しーびー
CB
 "CB"とは"Commerce Block"の略で、商業ブロックに当たる。
 この商業ブロックには、大きく二つの役割がある。
 一つ目は、大商業施設、または、ブロック全体が大型のショッピング・センターとしての役割。
 その中には、移動拠点としての宿泊施設も併設されている。
 二つ目は、交通ルートを纏めるターミナルとしての役割。
 交通ルートには、大きく三つ。
 エリア中心地とを結ぶルート。
 近隣の企業ブロック、住宅ブロックとを結ぶルート。
 その三つを纏めたターミナルの役割を担っている。
えるびー
LB
 "LB"とは"Life Block"の略で、居住ブロックに当たる。
 マンション、アパートの減少により、住宅地が大分変貌している。
 空き住宅地と一戸建て地区をまとめ、2階屋、3階屋が、高層の集合住宅に置き換わっている。
 日本では窮屈な住宅空間であったが、空き住宅地の恩恵に預かり、ゆとりある住宅空間を実現している。
 居住エリアには、必ず緑地公園が設けられ、心地よい生活を営めるようになっている。
だい?じゅうたく(こうそうしゅうごうじゅうたく)
第?住宅(高層集合住宅)
 高層集合住宅のことをさすが、マンション、アパートとは趣が少々違っている。
 従来の一戸建てを改装に積み重ねた高層住宅となる。
 一階建てから三階建てまであるが、二世帯住宅はない。
 地名+施工番号+住宅で呼ばれることが多い。



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