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「あぁ~」
出す必要があるかという程に声を張り上げており、部屋の外まで聞こえているのだが、聞き覚えのある声である。
「先輩、声が大きいですよ」
「岩間君。大声を出さないで出来ないのか? ラボの外まで聞こえているぞ」
言わずもがなな、聖美であった。何故これほどまでに声を張り上げているのか? 今度は「だめだぁ」と、嘆いた声を上げている。
「う~。……進まないぃ」
「分かってますから、落ち着いて下さい」
物理学科の調査が思うように進まない苛立ちを、声を張り上げる事で解消しているようである。周りも同様であろうが、声を張り上げているのは聖美だけである。
精神衛生上で言えば、ストレスを発散している聖美の方がいいのであろうが、その場で出てしまう聖美が、まだお子様と言えるのかもしれない。
「フゥー」
「それじゃ猫ですよ」
「あに?」
「いえ、何でもないです……」
「岩間君。後輩を威嚇してどうする」
「ふっ?」
「……大丈夫ですよ」
「あっ! ごめん、美也ぁ」
そう言った聖美は、美也を抱きしめたのである。端で見ている大里は、困った奴という表情を浮かべて見守るだけであった。
「聖美。いい加減、大人の対応をとりなさいよ」
突然、説教を始めたのは、言わずもがなな博実である。とは言え、こちらも言葉に刺がある口調である事から、苛立っている様子が覗える。
「……あ?」
「その場で、ストレス解消するなって言ってるのよ」
「むぅ。いいじゃん」
「そうじゃないでしょ! ホント、あんたにはイライラする」
「あによぉ。ちょっと声を出した位で」
「ちょっと? いい加減にして。イライラしてるのは、聖美だけじゃない」
「先輩方、止めて下さい」
「何? 聖美の肩を持つの?」
「いえ、そうではなくて……」
博実の剣幕に、言いよどんでしまう美也であった。「そうやって睨むし」と聖美がツッコミを入れると「あんたが、原因でしょうが」とすかさず言い返す博実であった。
「あによ」
「何? 一人じゃ、何も出来てないじゃない」
その場その場で、適切な言葉というものはある。しかし、お互い進まない調査に苛立ちを覚えているため、その配慮が出来ない状態なのかもしれない。
「岸田君。それは言いすぎだぞ」
「……」
我に返ったのか、博実は唇を噛みしめてしかめっ面をしていた。
「くっ!」
言い返す事もせず、聖美は、脱兎のごとく一〇二ラボを出て行ったのである。「待って下さい!」と、美也も後を追っていった。後に残された博実、大里をはじめとする面々は無言であった。
飛び出した聖美は、学生会館の食堂、その片隅のテーブルにいたのである。
「先輩。やっと追いつきましたよ」
ぼそりと、いつも通りの美也が声を掛けると、「……美也」と項垂れるどころかテーブルに置いた腕で顔を隠したまま、元気のない声で答えるのであった。
「隣失礼しますね。……でも、岸田先輩の、あれは酷いです。言い過ぎです。岩間先輩だって、それなりに頑張っているのに……」
「……うん。ありがとね。でも、それなりってあに?」
「う、え? いえ、え~と。何でしょう?」
「あによそれ。プッ」
吹き出してしまった聖美であり、慌ててはいるものの釣られて笑う美也の声が、静かな食堂に響いていた。そして、いつも通りの美也に救われる聖美であった。
「あら。二人共早い……、訳ではなさそうね」
突然声を掛けられた美也と聖美は、びっくりして振り返ると明子が食堂に入ってきたところであった。
「お? こんな隅っこにいるのに」
「え、え~と」
「……何があったの?」と明子が問うと「えー、特に、何かあったかなぁ」と惚ける聖美であるが「あ、はい。あのぉ。いえ、何も……」と、美也がどうすべきか迷った事で「何かあったのね。聖美絡みみたいだけどね」と言いながら聖美を見据える明子であった。
「……うっ。いやぁ、どうかなぁ。あははは」
笑って誤魔化そうとする聖美であるが、元気な時の聖美とは明らかな違いに気付いた明子が、「岸田さんも絡んでいるのね」と呟いた。すると、誤魔化し笑いをしていた聖美が止まり、美也の表情が陰ってしまったのである。
「……じ、実はですね」と語り始める美也を止めようとする聖美であったが、明子の渾身の睨みで封じられてしまうのであった。
「……あぁ。岸田さんにも困ったものね。ストレス解消の標的に聖美を利用したみたいじゃない」
「え? あぁ、そうも見えますね。なるほど」
「……まぁ、あたしも、人の事言えないしねぇ」
「そんな事ないです! 先輩は、迷惑を掛けているだけです!」
「あぁ、美也ちゃん。それって別の意味で問題でしょうに」
「え? あれ? そうなります?」
「成るでしょ。研究員に注意されてるみたいだしね」
「……うっ。面目ない」
「さ。お昼ご飯でも食べて気分を変えましょ」と明子が促すも、「う~。食べたくない」とだだをこねる聖美であった。
「食べないとだめよ」と注意する明子だが「え~、こんなんじゃ食べる気しないよ」と返される始末である。
「岩間先輩。しっかりご飯食べないと、元気も出ませんよ」
「……あぁ。うん、そうなんだろうけどねぇ」
うだうだと席を立つ素振りも見せず、テーブルに突っ伏している聖美がいたのである。
「……」
「あに」
「……」
声を出さずに口を開けてしまう明子に、振り返り見た表情に呆然としてしまう美也がいたのである。
「……さっきは、大声出して悪かったわよ」
「……」
「なんか言いなさいよ」
「……わ、私も、言い過ぎた。……ごめん」
「そうだね」
やや硬い表情をする聖美と、言い過ぎたことで気分が重くなっている表情の博実。険悪とは言わないが、重い空気が漂ってしまうのであった。
食堂の一角で、重い空気を漂わせている一方、学校では、昼の休みに入っており、徐々に生徒や研究員などが集まり始めていた。
「んじゃ。ご飯でも食べよ」
先ほどまで“食べたくない”とだだをこねていたのが嘘のように、いや、苛立ちを募らせたくないのであろう、そそくさと席を立って、配膳カウンターへと向かっていったのである。
「あっ! 岩間先輩、待って下さい」と美也が後を追うと、明子もスッと立ち上がって後に付いていった。博実は、しばし一人で立ち尽くしていたが、息を漏らして配膳カウンターへと足を向けたのである。
微妙な位置関係で、テーブルに着いている三人と一人。いつも通りではなく、静かに食べているようである。
「う~」
「あら、聖美どうしたの?」
「……何でもない」
「?」
唸る聖美は、若干眉間にしわを寄せながら、黙々と食べているのだが、何かを気にしている様子である。
「む~」
「……だからどうしたのよ」
「おっ?」
「聖美。唸りながら食べても、いい事ないわよ」
「うっ。そうかもしんないけど。なんか……」
「? あ。もしかして、周りの声が気になってます?」
「うっ?」
「たまにありますよねぇ。でも、大丈夫ですよ。そう言う時は……」
「止めときなさい」と、突然割って入る声に、三人の視線が向いた。「……また、よからぬことでも」と、即座に口を開いたのは聖美である。
「聞き捨てならないわね。美也が、またいい加減な事を言いそうだったから止めただけよ」
「そうなの美也?」
「そんな事ないです!」
「どうだか」
「あんたは、そう言う言い方しか出来ないの?」
「聖美に言われる筋合いじゃないわよ」
「くぅ~」
「聖美も岸田さんも止めなさいよ、みっともないわよ」
「そうね。山田さんの言う事はもっともだわ」
「あぁもぉ」
「ちょっと、先輩! 食べ方がだめです」
「もう……」
美也と明子があきれる程に、憤慨しかけた聖美は、親の敵と言わんばかりに昼食を平らげていったのである。
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「う、うぅ」と、小さく弱々しい唸りを上げている傍らでは、「先輩? 大丈夫ですか? どこか具合が悪いんじゃ」と心配しているのだが。
「うぅ。だって、美也が大きな声を出すなって言ったじゃん」
「? そう言えば、言ったような気もしますが。だからって、先輩らしくない事しないで下さい」
「あぁ。美也は、あたしにどうしろと」
あからさまに困った表情で、腕組みをする聖美の反論に、美也は、答えに詰まり俯いてしまうのであった。
「……ん、ん。まぁ、美也が心配してくれる事は嬉しいんだけどね。……あぁもう。むしゃくしゃする」
俯いていた美也に、先輩らしく礼を述べたところまではいいのであるが、鬱積している苛立ちは収まらないようである。その証拠に、美也と使っている実験テーブルの周囲をうろつき始めたのである。
「先輩。落ち着きましょうよ」
「……」
美也の声かけにも無言であり、ブツブツ何かを呟いているようにも見えるのであった。
「せ、先輩?」
近くを通りかかる度に、声を掛けてみるものの、聖美は一向に反応を見せない。無視していると言うよりは、思考に夢中になっており、周りに気を回していないと言ったところであろうか。
しばらく、うろつく聖美と空振りを続ける美也の声かけは続いていたのだが、「せ、先輩ぃ……」と、反応を返してくれない聖美、美也が涙声で訴えかける始末である。
流石に嗚咽を漏らす美也に気がついた聖美は、「お? どったの美也?」と、惚けた事を言い出す聖美である。
「うぅ。だって、先輩が返事してくれないからぁ」
「あぁ、ごめんごめん。別の角度から検証したら、結局、イライラし始めて……。あはは、ごめん」
あっけらかんと話していた聖美であったが、最後は項垂れて謝る程に、苛立ちが溜まっていたようである。
「……さぁ、先輩。午後はおいてかないで下さいね」
「……」
美也の言葉が既に聞こえていない聖美で、美也の表情が曇っていくのであった。
それからしばらく、美也がひたすら声を掛けるも返答する事がない聖美に、「先輩!」とひときわ大きな声で呼びかける美也に「あによ!」と、何を思ったのか、やや声を張って答える聖美であった。その声に美也は縮こまってしまったのである。
その遣り取りを聞いていた研究員が「岩間君! ちょっと来なさい」と、こちらもやや声を張って聖美を呼びつけたのである。
「! は、はい!」
二つ三つ離れてはいたものの、聖美の耳に届いた呼びかけに、我に返った聖美は、慌てて返事をしつつ声の主の元に向かったのである。一方の美也は、聖美を追うその目には涙が浮かんでいたのである。
「岩間君。何をやっているんだ」
「えっ?」
「……意識的ではないようだな」
「? 大里さん、何の話でしょう」
「あそこを見たまえ」
大里の見ている方向に顔を向けると、やや俯いている美也がいたのである。
「あれを見て、どう思う」
「……あっ。あぁ。すいません。ちょっとイラついてて」
「うん。理解できたのならいいんだが、もう少し、周りにも気を遣いないさい」
大里の優しく諭すような言い方に、聖美の苛立ちも少しは和らいだ事であろう。
「よお、岩間君。また何かやったのか?」と、ラボに入ってきた研究員が、茶々を入れてきたが「小林さん。何ですか、いきなり」と答える聖美であった。
「いやぁ、だってさぁ。岩間君が大里の所にいるのは、何かやった時だけじゃないかぁ」
「何かって、あたしを何だと思ってるんですか」
「へ? そりゃぁ、問題……」と、言いかけたところに、「小林さん! 先輩は悪くないです!」と、怒鳴り込んできた美也がいたのである。
「美也……」
「先輩は、ちょっとイライラしてるだけですから、小林さん、酷い事言わないで下さい!」
「……ごめんね、美也。一緒に頑張ろうか」
「はい」
「大里さん、すいませんでした」
聖美は深々と謝り、美也も会釈で礼をして、調査に戻っていく二人。それを、あっけにとられて見送る小林と、困ったと言うよりはやれやれと言った表情の大里がいたのである。
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極薄い雲に遮られた日差しが差し込んでいる窓の内側は、まだ、朝の低い日差しも相まって明かりの必要がない程である。そこに、ふらふらよろよろとやってくる人物がいた。
「あら、聖美。おはよう? って、どうしたのよぉ」
「……うん」
寝ぼけているようにも見えるが、「ん? おはよう、……明子」と、誰から声を掛けられたのかは認識できるようである。であるならば、気力がなくなり呆けているのであろう。
「おはよう、ございま……。先輩、どうしました? 大好きなご飯の時間なのに」
「ん? おぉ、美也じゃん。おはよう。ご飯は好きだよ」
遅れてやってきた美也も、明らかにおかしい聖美に気がついたようである。しかし、当の聖美は無気力な者がするような一本調子な返事をするだけで、いつもの元気がないのであった。
そこに、聖美達にとってはやっかいな人物がやって来て、「美也。何立ち止まっ……。聖美、ね。何? その呆けたような顔は、若いんだからシャキッとしなさい」と、同じ年である事を忘れたのか、年配の人が口にするような言葉を聖美に向けるのである。
「あ? あに言ってんの、あんただって若いじゃん」
聖美の言いように、「確かに」と美也が頷き、「納得しかけたけど、どうなのかしらねぇ」と何故か考え込んでしまう明子がいたのである。
「全く、貴方たちはぁ……」
「でもまぁ、一応、岩間先輩は、いつも通りなので安心しました」
「ちょっと、美也ぁ」
「いつもの聖美には、まだ、元気が足りないわよ」
「そう言えば、いつもの反撃なら、もっと、こう、ガツン! とした元気がありますね」
「あんた達はねぇ。人の話を……」
「ちょっとさぁ。二人共あたしを何だと」
「聖美でしょ?」
「先輩です」
「……」
いつにない程、覇気がない聖美の反撃、美也の天然が発揮され、とっさに明子がそれに便乗したことによって、毒気を抜かれた博実は、言葉を失ったようである。明子は、うまくいったという笑みがこぼれていたのを聖美は見逃さなかった。
「博実はなんかないの?」
「ないわよ。強いて言うなら、覇気がなくとも反撃できる元気はあるようね」
「それが先輩です」
「美也ぁ」
「一応、いつもの聖美ではある訳ね」
「明子までぇ。あきれられてるしぃ」
*
「先輩! なんか顔が怖いです」
突然。美也がそう言って聖美を揺すり始めたのである。
「うわぁ。あに? あにがあった?」
「顔が怖いです」
聖美が反応したことから揺するのを止めた美也の表情は、至って真剣であり、見方によっては怖いと言えることを、本人のみ気が付いていないのが、聖美が慌てていることからも覗えるのである。
「はっ? 美也ぁ、それは酷いよぉ。顔が変だなんて」
「あっ、えっと。変じゃなくて、怖いんです。難しい顔だったのに、いきなりニヤけてます」
「おっ? なんじゃそりゃ」
「……え~と。なんて言うか。調査してるんで、考え事すると人って、難しい顔するじゃないですか」
「そうだねぇ」
「で、先輩は、今。考え事してる筈なんですが、ニヤけてます。何か良い案でも思いついたんですか?」
「ほ? あたしが? いや、ないよ。今も必死に考えてる」
「そうなんですか。……考えてるのにニヤけてるのは怖いですよ、先輩」
「そんな馬鹿な」
「先輩? ありふれた台詞で、否定してもだめです。それは、事実です。はい」と言って、持ち歩いているポーチから手鏡を出して、聖美に渡すのであった。そして「おぉ~」と雄叫びを上げた聖美であった。
「大里さん……は、いませんね。しょうがない。小林さん」と、突然研究員を呼び出すと、「どうした。岩間君がまた何かやったか?」と、緊張感がある台詞を、やや面白そうに口にすると、ツカツカとやってくるのであった。
「またって。人聞きが悪いですよ、小林さん。あたしを何だと……、止めとこ」
「何だ、よ……お? 岩間君、どうした? 何がそんなに嬉しいんだ。……まさか!」
「小林さん。違うようです」
「まだ、何も言ってないが……。で、何が違うと?」
研究員の小林は、聖美が何かやらかしたかと思っていたようである。それに反応しようとした聖美は、学習したようで途中で言葉を切ると、つまらなそうにする小林がいたのである。しかし、聖美の表情を見るに、いろいろな意味で何かあったのだろうと目を輝かせると、美也に即刻否定されたのである。一転つまらなそうな表情に変わってしまう、こちらもややお子様が垣間見える大人である。
「調査は相変わらず何もないです。ので、先輩がニヤける意味が分かりません」
「本人に聞けば良いだろう」
「聞きました! で、考え中だって言うんです
「んー。ん?」」
「ホントですって」
「そりゃぁ、……何だ? 岩間君は、今も嬉しそうだが、画期的なアイディアが浮かんだ訳ではない、と」
「ないです。あったら……」
「あぁ、そりゃそうか。岩間君だもんな」
ポンと手をたたくように、合点のいった小林であるが、方やそれを聞いた聖美は、何か理不尽な思いに苛まれるのであった。
「と言う訳ですので、このまま続けるのも私がおかしくなりそうなので、二人で休憩してお昼に入ります」
美也が鬼気迫る表情で、捲し立てるように休憩してそのままお昼に雪崩れ込むことを告げると、「お、おう」と、許可を出してしまう小林がいたのである。
「うぅ」と唸りを上げているのは美也である。いつになく、疲れた表情であるのは、聖美が意図せずニヤけ続けているからである。
「せ・ん・ぱ・い。いつまでニヤけてるんですか」
食堂のテーブルに肘をついて頬を支えながら喋る美也が、心底あきれているのが口調と表情から覗える。
「美也ぁ、人がいないんだから、もっと小さい声で喋ってよぉ。それに、そんなつもりはこれっぱかりもないよ」
今の聖美は、どんな言葉を言おうとも、口を噤んでしまうとニヤけてしまう状態である。語る内容によっては、大惨事になりかねず、一緒にいる美也の精神が疲弊してしまう恐れがあったのである。「もう。何でですか。私への嫌がらせですか」と、既に疲れ始めているようである。
お昼休憩を知らせるチャイムが鳴ったのは、そんな頃であり、しばらくすると、食堂にもちらほらと生徒や研究員がやって来たのである。
「あら。もう来てたのね、早いわねぇ」
「お? 明子」
美也の背後から掛けられた声に、聖美が返事をすると、「山田先輩ぃ」と、泣きつくような声を出した美也であった。
「どうしたの?」
「聞いて下さいよぉ。岩間先輩が、岩間先輩が……」
「聖美ぃ。美也ちゃんに何か言ったの?」
「言ってない」
「……じゃぁ、何かやっちゃった? って、何で嬉しそうなの? 聖美、大丈夫?」
会話をする中で、美也が泣きついてきたことの一端を見たかのように、突っ込みではなく、心配する明子がいたのである。
「で? 何で聖美はニヤけてるの?」
「さぁ」
「聖美ぃ。自分のことでしょ、何か思い当たることはないの?」
「全く以て、ない!」
「あぁ。美也ちゃんは何かないの?」
明子の事情徴収が始まるも、「特にないです。調査中に突然始まって」と、美也の説明に、「それじゃぁ、あたしは変な人じゃん」と、聖美としては、至極当然の反論である。しかし、表情がニヤけているため、いつものような迫力は全くないのである。
「困ったわねぇ。……ひとまず、お昼食べちゃいましょうか」
ニヤついた表情のまま、明子に促されて配膳カウンターへと向かう聖美であった。
食事を取って、テーブルに着いた三人であるが、幾分か元気のない美也と、常にニヤけた状態の聖美。それをやや面白そうに眺めつつ、食事をとっている明子達であった。
「あら? もう来ていたの?」
「うわっ」
「何? まずいことでもあった?」
「いや、別に」と言いつつも、聖美の表情はニヤけたままである。
聖美は機嫌が良さそうである一方で、美也が落ち込んでいるような表情と受け取った博実は、そのまま配膳カウンターへと向かっていくのであった。
しばらくは、三人で静かに昼食を食べていたのだが、「ここ、座るわね」と言って、美也の隣に座る博実であった。
「何? ニヤニヤして、気持ち悪いわね。言いたいことがあったら言いなさい」
「それじゃぁ、誰も許可した覚えがないんだけど?」
「そう? 良いじゃない。……何かあったんでしょ」
売り言葉に買い言葉、ではないものの、聖美の笑みと怒りの入り交じった表情から紡がれた言葉を受け流す博実である。会話を始めようとする博実に、聖美の怒りの視線が刺さっているが、ニヤけた状態に怒りが合わさっているため、不敵な笑みに見えても不思議ではないという状態である。
「その不適な(?)笑みに何かあるの?」
「何もない」
「そんなことはないでしょ。美也が落ち込んでいるようだし」
「くぅ~。よく見てる」
「当たり前でしょ」
低く唸っているように見える聖美は、我慢しながら昼食を食べているのだが、いかんせん、口元が緩んでしまうようである。
「そんなに美味しいの? それ」
聖美がニヤけていることからの反応なのであろうが、事情を知る美也と明子は、口元をひくつかせながらも、博実にばれると面倒であることも承知しているため、耐えるのであった。
「何?」
「何でもないです」
「そうねぇ。特に問題はないかしらね」
博実でなくとも、時折“くっ”と、何かを堪える仕草をされれば、何かあると考えるのが普通である。しかも、聖美絡みともなれば、自分、と言うよりは聖美本人と言うことになる訳で、そこまでは、博実とも成れば直ぐに辿り着けるであろう。
「また、聖美が何かやらかしたのね」
「ん? 何もやってないよ」
きょとんとした表情になりそうであるが、今の聖美はニヤけてしまうのであった。
「聖美、あんた。どうしたの?」
「ど、どうでも良いじゃん」
言葉とは裏腹に、どのように表情を作ろうと、気を抜くと直ぐにニヤけてしまう聖美であった。
~第九章 「難渋」 完
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