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「どうすんの、これ?」
「どうにもならないでしょうね」
「あのぉ、お二人は随分と落ち着いているのような気がします」
聖美と明子に美也の三人は、昼の休憩時間であるため、食堂で流れるテレビを見ており、聖美と明子の冷静さに戸惑う美也が一人落ち着かない様子である。
「ふっ? あぁ、だってこれは、あたしじゃぁどうにもならないし」
「パニックになっているのを見て、パニックになってもしょうがないでしょ」
「はぁ」
気のない相づちを打つ美也も、その実、かなり落ち着いている事に気がついていないようである。
「あぁもう! 何で月基地は嘘つくんだよ」
「はぁ? 何を言っている。嘘つくはずないだろ」
「じゃぁ、今見えている物体は何だよ」
「それを調査してるんだろう」
などなどと、ここでも月基地からもたらされた情報に混乱している人々がいるようである。
ここと似たような状況は、地球上の至る所で見る事が出来た。“ある”のか“ない”のか、果てのない議論が、口論となり、喧嘩まで起こっているのが実情である。
「食堂でまで止めて頂けますか」
声を張り上げてはいるが、怒りのそれとは性質が異なっている。そして、どこかで聞いたような声の主のようである。
「うわっ。来た」
思わず口をついて出てしまったようで、手で口を押さえる聖美であったが、時既に遅く、その主の視線が聖美を捉えているようである。
「聞き捨てならないわね。何が来たって言うの」
「えっ、いや。あはははは」
「……全く。どいつもこいつも、月から見えないってだけで……」
「岸田先輩。それはかなり重要な問題な気がしますが……」
「ん?」
「……」
「あんたねぇ、後輩を睨んでどうすんの」
「……あっ。ごめんね」
「全く」
冷静さを装っていても、かなり苛立っているのが透けて見える。方や、聖美はかなり冷静であるようだ。
「んん。そう言えば聖美は騒いでないわね」
「あんたは、あたしを何だと……」
「ガキ」
「くぅ~」
「岸田さん。それはちょっと酷い言い方よ。いくら、いつもの言動が子供っぽいからといって……」
「明子までぇ。それは酷い~」
聖美のフォローをするのかと思いきや、いつもの調子が出てしまう明子は、聖美に突っ込まれて舌を出していた。一触触発かと思いきや、堪えながらクスクス笑っている美也がいた。
「美也ぁ」
「……ご、ごめんなさい。だって、先輩方の遣り取りが妙におかしくなって……」
美也の言葉に、席に着こうとした博実が、はぐらかすような言葉を発した明子にやや敵意のこもった視線を向けている。だがその視線を意に介しているのかいないのか、特にいつもと変わらない様子の明子がいた。
聖美達がたわいなのない話をしていると……。
「……いつまで調査、続くの」
「そうだけどぉ」
「学生連絡会は何やってるの。連絡もしないで」
「あぁ。現状で調べるとこないんじゃないか?」
「もう、無理なんじゃねぇか?」
などなどとぼやきながら、やや遅い昼食でも取りに来た学生達が口々に呟いているのが聞こえてくる。
「もうだめだ! これ以上は情報がないと出来ない!」
大声で食堂に入ってくる学生がいたが、周りの友人と思しき学生に「声がでかいよ」と窘められている。家にも帰れず、調査漬けになっている学生としては、気分転換もできず辛いところであろう。
「……先週の行方不明者。あれはすごいな」
「すごいって言うか、怖いよ」
「止めて! 今度は私かもしれないってビクビクしてるんだから」
「何言ってんだよ。化学科や物理科は大丈夫だろ?」
「このところは……」
別の所からは、先週末に起こった大規模な行方不明者の話をしている様子。一人だけであったとしても恐怖があるのだ、ほぼ同時に一〇〇人ともなれば恐怖が増大するのも頷けると言える。
「……行方不明者……」
「あっ、まずいわね。聖美、大丈夫?」
「……えっ? あっ。おぉ、大丈夫に来まっ……るじゃ、じゃ……。う~」
「全く以て大丈夫じゃないでしょ」
「あう~」
「大丈夫です。岩間先輩、耐えるんですよ」
「耐えちゃだめでしょ、聖美の場合は」
「えっ?」
「そうねぇ。聖美の場合は、耐え続けると爆発するからねぇ」
「えっと。そうでしたっけ?」
「そうよ」
「そうそう。あんたも見たでしょ」
「ん~。あ~。じゃぁ、今爆発しましょう、岩間先輩。それだと被害が、少ない?」
「……あのさぁ」
「はい」
「みんなはあたしを何だと思ってるの」
「聖美でしょ」
「聖美だね」
「先輩です」
「……あ~! もう!」
偶然か、策略か。結果的に、聖美の気を行方不明者から離せたのだが、別の意味で声を張り上げさせてしまい、明子が周囲に平謝りしたのは言うまでもない。
*
「あぁ。なんかやる気でない」
「先輩。だめですよ。藤本先輩を探すんじゃないんですか?」
「そうだけどさぁ。こんなに長く缶詰じゃぁ、気分が盛り上がらないよ」
聖美と美也は、一〇二ラボで調査を続けている筈なのであるが、ここに来て聖美の意欲も途切れてしまったようである。
「もう。いつになったら外出禁止令終わるの」
「岩間君」
「ん? あぁ、大里さん……」
「どうした、その気が抜けたような応対は」
「大里さんからも言って下さい。やる気が出ないなんて言ってるんですよ」
「岩間君。君というやつは……。まぁ、気持ちは分からないでもないが、行方不明者の捜索の手助けするんじゃなかったのか?」
大里と呼ばれた男性は白衣を纏っており、物理科の研究員を務めている。柔和な顔つきではあるが、やや小太り気味な体型であるのは、研究に没頭しすぎている証しなのかもしれない。いわゆる、運動が苦手あるいはきらいなのであろう。
呆れ返ったような大里の言葉に対して、唸り声を上げたものの、依然として実験テーブルに突っ伏し続ける聖美であった。大里が怒らない事をいい事に、聖美や一部の学生は、高をくくっているのかもしれない。
「ま。二ヶ月もこんな状態で、やる気を失うなと言う方が無理なのは分かる」
「そうそう」
「だからといってだな、あからさまに態度で示していい筈はないだろう」
「うっ」
大里が、説教じみた話を始めたため、しかめっ面になる聖美であり、美也もしまったといった表情になっている。どうやら、ここからが長いようである。
「岩間君は……」
「大里。説教を始めるなよ」
「小林。そんなつもりはないが……。始まっていたか?」
「まぁな」
「す、済まんな岩間君。君を責めるつもりはないんだが」
「う~」
「そうだなぁ。俺たち研究員の方が気楽と言えば気楽だが、夜間を学生だけにする訳にも行かないから泊まり込みシフトもある。まぁ一〇〇%学生と一緒ではないが」
大里と小林二人の研究員から、改めて諸々の話を聞いた聖美は、いつの間にか上体を起こして聞いていた。聖美とて二〇歳となっているのである。いかに子供っぽい言動が目立つとは言え、年齢なりの心構えというものを持っているようである。
「まぁ、何だ。学生だけが外出禁止令で辛い思いをしている訳じゃないというのを理解してくれればいい」
「……大里さん」
「俺は? いい事言っただろ?」
「あぁ。小林さん……」
「何だよ。そのリアクションはぁ」
最後に、小林が冗談めかした言葉に、やや緊張した糸が緩み、誰からともなく笑いがこぼれていたのである。
「何だか楽しそうね」
聖美達がいるラボに入ってくるなり、嫌みとも受け取れる言葉を口にした人物がいた。
「博実。何?」
「いえいえ。こっちのラボは楽しそうでいいなって話よ」
「また、そんな言い方してぇ」
「あら、気に障った?」
「う~」
「おい、二人とも止めないか」
「大里さん。聖美を甘やかさないで下さいよ。直ぐサボるんだから」
「あんですってぇ」
「岸田君。止めないか。岩間君も」
「君たち二人は気が合うのか合わないのか、分からないよ」
博実の介入で、和やかな雰囲気ががらりと険悪な雰囲気に変わってしまったようである。薫とは別の真面目さがあるのであろう。
周囲も“また始まったか”という雰囲気に包まれてしまった。ちょうどそこに“ピンポーン”とスピーカーからチャイムが聞こえてきた。
「学校からお知らせがあります。調査を始めてから、本日、西暦二一二八年九月二〇日で二ヶ月程が経ちました。ですが、まだ長期化する見通しとなっております。これまでも作業シフトを組んでおりましたが、体調と効率の観点から休養が出来るシフトへ移行する事が決定しました。それと、未だに外出禁止令は解除されておりませんので、学校外へ出る事がないようにお願いします。シフトについては、学科毎に別途通達しますので、それまでは現状のシフトでの作業となります」
放送が終わっても、一〇二ラボでは無言がしばらく続いていた。そして、通達内容が浸透すると、歓声がある一方で、「休みはいいけど、何すればいい?」や「寝坊できるぞ」あるいは「でも、学校から出られないんじゃ一緒じゃないか」などなど多様な会話がされていったのである。
一方、聖美達は。
「だぁ。まだ外出禁止令続くのぉ」
「そうですね。そろそろ解除してもいいんじゃないでしょうか」
「んー」
「あんた達は、そうやって感情で動く」
「あんでよぉ、いいじゃん。博実だってしんどいでしょ」
「そう言う問題じゃないでしょ」
「じゃぁ、どういう問題よ」
「こらこら、二人とも止めないか」
聖美は、その場その場の感情で行動しがちである。一方の博実は、感情だけではなく理屈も考慮しているのであろう。とは言え、二ヶ月もの間缶詰になれば、いかに博実が現実的であったとしても、聖美の感情論も現実的ではないと言い切れないのも事実である。
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新たなシフトの告知があってから二日。今のところ、学校から新たなシフトの告知がないまま過ぎていた。
「まだ新シフトの連絡ない」
「んぐ。……そうですね。何か揉めているんでしょうか?」
「そうねぇ。二交代とか三交代でも考えているのかしらねって。朝っぱらから、と言うより聖美は連絡があるまでこの話しするつもり?」
「えぇ。だって休み欲しいじゃん。はぐっ」
「はぐっ。……いらないでしょ。緊急事態なんだから」
聖美が愚痴をこぼした事で、新シフトの話題に切り替わったようである。しかし、発表したにもかかわらず二日も具体的な内容が示されないのは、聖美でなくとも疑問に感じる事であろう。
「博実はぁ、またそういう事言うし」
「何? 事実を述べてるだけよ」
「そうじゃなくて。こんだけ続いてて、博実は休みいらないの?」
「……そうは言わない。でも、聖美みたいに休みを前提にしてないだけ」
「ぶぅ。それじゃぁ、あたしはさぼり魔じゃん」
「そうね」
「あんですって!」
「まぁまぁ」
楓とも似たような事がないとは言わないが、冗談が介在しない啀み合いに発展してしまうところを見ると、聖美にとって博実は犬猿の仲といったところのようである。博実にしてみれば、真面目に対応しているのかもしれないが、若干おふざけが入る聖美とは水と油なのかもしれない。
澄ましているように見える博実に対して、敵意が垣間見える聖美が睨んでいると、ピンポーンとチャイムが鳴った。
「聖美。それどころじゃないみたいよ」
「?」
「学校からのお知らせです。先ほど学生連絡会から情報が入りましたのでお知らせします。現在、学生の皆さんに手伝って頂いている調査ですが、上空の建造物の正体が未だに掴めない事、行方不明者との関係性も不透明である事もあり、打ち切りはしないとの事です。次に、先日お知らせした新シフトにつきましては、もうしばらくかかりそうですので、追って放送でお知らせします。以上です」
「良っしゃぁ! 調査は継続だぁ!」
「そうですね。頑張りましょう」
放送が終わるや否や、聖美と美也は大盛り上がりをしてみせる。しかし、明子は継続に疑問でもあるのか二人と同調しない。もう一人の博実は、喜びも悲しみもないようで淡々としていた。
一方、食堂にいた他の学生は、瞬間的に歓喜を発した物の、異論のある学生もいるようである。
「ちょっと待て。行方不明者がいるとは言ってもだな……」
「そうね。行方不明者の方は、帰ってくるんだし、ねぇ」
「調査も限界っぽいしなぁ」
調査自体が停滞している事もあり、調査継続には賛否が分かれてしまうようである。
「うむ。行方不明者の観点から見ると、今の調査は微妙だな」
「いや待て。そもそもこの調査は、行方不明者と関係しているのか? 上空の建造物が何かを調べるのが目的ではなかったのか?」
「どちらにしても、上空の建造物が何かは調べないとまずいだろ」
「学生連絡会は、あの建造物が行方不明者と関係があると、発表していないだろ。それを理由にするのはおかしくないのか?」
研究員ですら、調査に対する考え方に違いが出ている始末である。今後の調査を進める上で問題が出なければいいのであるが……。
「騒がしいわね」
「また小馬鹿にしたような言い方ぁ」
「そうでしょうに。今の状況では、学生としては学校やその上が決めた事に従うしかないでしょ」
「それじゃぁ、只のイエスマンじゃん」
「そう? 選択肢が他にあればいいけどね」
「感じ悪いなぁ」
「……でも。岸田さんの言うように、学生には選択肢がないわね」
「あんでよ」
「外出禁止令が出ている訳だしね。学校から出られない以上、何かすると言ったら調査くらいしかないのよねぇ」
「む~」
「……なるほどぉ。それも一理ありますね。でも、只従うだけというのも……」
美也と明子の言う事ももっともではあるが、聖美としては、自発的にやっているつもりなのであろう。いや、楓と薫を見つける事に繋がる可能性と見ているのかもしれない。そうは言っても、言いなりになりすぎるのも危険と言える事に変わりはない。
「……そうだよねぇ。でもただ従っているってのもちょっとやだなぁ。かといって、現状そうなっていないかって言われると……。分かんないや」
ガヤガヤと、学校からの連絡事項に、各々が多種多様に反応し、論争があちらこちらで展開している食堂である。
しばらくすると、三々五々、食堂を後にする学生や研究員がいた。聖美達も朝食を終えて、調査を続行するため各自の持ち場へと移動を始めたのだが……。
「む~。さて、どうすべか」
「どうしました? 岩間先輩」
「調査続行! はいいんだけどさ、貰っているデータの調査って、やりようあるかなと」
「……そうですね。昨日時点で、解析方法はつきてましたっけ」
「そうなんだよねぇ。どうしよ」
「……確かに。聖美にしてはいい事言うわね」
「あんたねぇ。あたしに喧嘩売ってる?」
「何言ってるの、珍しく褒めてるんじゃない」
「あぁ~。ホント、あんたってデリカシーないよね」
「まぁまぁ」
やや嬉しそうに聖美の言い分に同意する博実であったが、その言い回しに眉間にしわを寄せた不快な表情で返す聖美。二人の先輩に困った表情で言い合いを避けさせようとする美也がいた。
「……ま、建造物を直接調査できれば……」
「またぁ。それが出来ないから精度の悪い地上からのデータでやってるんじゃん」
「……」
天井を見つめつつぼそりと呟く博実に、“何を言っているの?”とでも言いたそうな聖美がいた。
その後は会話を殆どする事なく、別班の博実と別れた聖美と美也が一〇二ラボに入っていき、聖美は担当テーブルに向かうのだった。
「で、美也。どうしよう……。あれ?」
美也が付いてきていない事に気がついた聖美は、辺りをキョロキョロと見回しているようである。
「大里さん」
「ん? 井之上君か、どうした?」
「あの。少しお時間いいですか?」
「あぁ」
「調査なんですが。解析の方法も限界なんですが、何をどのように調査すればいいですか?」
美也の突然の質問に、大里は口を閉ざしてしまう。その光景を離れてみていた聖美は、“しまった”という表情をしつつ、慌てて美也の元に走ったのである。
「……美也。あにやってんの。……大里さん、手間をとらせてすいません。行くよ美也」
「……待て、岩間君」
「はい?」
大里の説教が始まると考えていただけに、穏やかに呼び止められた聖美は、美也を連れ戻そうと手を取ったままあっけにとられてしまったのである。
「井之上君の質問に答えていない」
「いえいえ。それは各自で考える物じゃ」
「そろそろ手詰まりになっているからな。学生にだけ押しつける訳にもいかんだろ」
「いや……。でも……」
「とはいえだ。直ぐに答えが出る訳ではない。しばらく待ってもらえないだろうか」
「……分かりました」
済まなさそうに答える大里に、聖美は鳩が豆鉄砲でも食らったかのようであり、連れ戻しに来た美也に引っ張られる形で、実験テーブルへと戻っていったのである。
「大里は真面目だね」
入れ替わるように研究員の小林が大里の元にやって来たのである。
「茶化すな」
「事実だろ?」
「何でもかんでも押しつければいいと考えていないだけだ」
「ま、俺なんかよりは確実に真面目だよ」
「そうなのかな。……確かに、小林は学生に頼りすぎ、いや、学生を使いすぎのきらいはあるな」
「うわっ。厳しいな。……まぁ、そうとも言えるか」
「それも事実だろう」
「くぅ~」
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前日である木曜日に、ようやく学校側から新たな調査シフトが出された。しかし、そのシフトは良いとも悪いともいえない物であり、学生らに混乱が広がっていた。
「今日から新シフトだね」
「そうですけど、先輩は既に疲れてますね」
「ん? この午前から午後と午後から夜のシフトだけど、なんか中途半端じゃない?」
「そうとも言えますけど、学校の説明だと学生の負担を減らすって事でしたね」
「一つの調査を複数人で引き継ぎながらやるんだよね」
「そうですね。週間単位で午前スタートと午後スタートが変わるって事でしたね」
午前からのシフトになった聖美と美也は、朝食を共に済ませて実験ラボに向かっていたのである。その道中、学校から出された新シフトにしっくりしていない聖美が、愚痴をこぼしているようである。
しばらくブチブチと二人で話を続け、実験ラボに入る二人が「おはようございます」と既にいた研究員に挨拶を交わしつつ、割り当ての実験テーブルに到着する。
「そう言えば先輩。物理科の新たな方針は出てましたっけ?」
「おぉ。そう言えばまだだったような……。今日からこのシフトであにすんの? ちょっと聞いてくる」
「えっ? ちょ、ちょっと待って下さい。もうちょっとしたら何か話が……」
「準備だってあるじゃん。ちょっと聞くだけだし」
「だめです。絶対揉めます」
「あんでよ。大丈夫、あたしだって学習してるから」
「いえ、だめですって」
聖美はかなり楽観的な態度で、美也に“大丈夫”と言い張っているが、薫という止め役がいない事で不安に駆られ続けている美也が必死に止めようとしているのである。
「小林さん。今日は大里さんはいませんね」
「お? 岩間君か、朝っぱらからなんだ? 大里は午後からだ」
「朝っぱらからって。あんですか。朝っぱらからだっていいじゃ……」
「岩間先輩。もう、大丈夫じゃないです。もどりましょう」
付いてきた美也が、聖美の突っ込みに危機感を抱いたようで、後ろから抱きついて引き戻そうとしているようである。
「井之上君。何をしているんだ?」
「これ以上は、岩間先輩が、危険ですから、一度戻り……。ん~!」
「ちょっと、美也。ん~。分かったって。……んん。で、小林さん。物理科の……新しい方針とか、新シフトでの……調査方法とかどうなってますか?」
美也の必至さに聖美も、揚げ足取りをしていた事に気がついたようで、冷静に質問する事が出来たようである。しかし、それでも不安が募っている美也は、聖美を引き戻そうと抱きついて引っ張り続けているのであった。
「ちょっ……と、美……也。いい……加減、止め……てよ」
「二人とも。落ち着いてくれないかな? 井之上君」
小林の説得で、聖美から腕を放す美也であり、ため息を漏らす聖美であった。
「で、どうなんですか?」
「うわっ。近いぞ」
「答えて下さい」
「……」
「どうなんですか」
「俺は、まだ聞いてない」
「えっ?」
「だから、まだ俺の所には、何も情報が来てない」
「それじゃぁ今日は、何をするんですか?」
「それは……。俺も聞きたい」
「小林さんは研究員でしょうに。何で知らないんですか」
「待て待て。研究員は下っ端だからなぁ。決め事には参加できないよ」
火が付いてしまった聖美は、畳み掛けるように小林を問い詰めていった。それを見ていた美也が、“やっぱり”といった仕草をとったが、時既に遅くどうする事も出来ずにいたのである。
結局、出来る出来ない、聞いていない何でですかと、エスカレートするにつれ声が大きくない、周囲の者達も巻き込んでいったのである。只、ラボの扉は開放されているため、廊下にまで大声が漏れている事に、聖美と小林は気がついていなかったようである。
「何を騒いでいる!」
「あっ」
「植村、助研究講師」
植村と呼ばれた助研究講師の一括で、しんと静まりかえる実験ラボ内であった。
「……小林さんじゃ埒が明かない。植村助研究講師。お聞きしたい事があります」
「岩間、君だったか。この騒動は、また君かな」
「それは、どうでもいいです」
「良くはないだろ。原因は何だ」
「そんな事より、今日から何するんですか」
「岩間君……。まだ、学生である君に教えられる状況にない」
「あんですって!」
「岩間君、待て。植村助研究講師。その言い方は、ちょっと酷いと思いますよ」
「小林君。君もか……。と言う事は、岩間君の発言内容が原因だな」
これだけの会話から、騒ぎとなった原因を突き止める明晰さは、かなりのものがあるようである。しかし、言葉を選びきれなかったのは、痛恨となるのであった。
「……あたしの所為だと言いたいんですか」
「そんな事は言っていない。新シフト……」
「質問しちゃいけないんですか」
「そうではない。話を聞きなさい」
「……先輩! もうだめですよ。戻り……ましょう」
聖美に新たな怒りを感じ取った美也が、羽交い締めにしてこの場から離れさせようとする。しかし、かたくなに動こうとしない聖美がいたのである。
「……激論は終わった?」
「……岸田先輩。タイミングが……悪すぎ……です」
「そうみたいね。……一〇一ラボで待機していたら、説明はこっちだからと移動して来てみたら、いつものが始まっ……。何よ」
その場にいた全ての視線が博実に集中した事で、最後まで言えなくなってしまったようである。
聖美に至っては、美也には羽交い締めにされるは、小林と植村に攻められるわ(是非ではなく感情として)と、また爆発しそうな状態であった。
「博実ぃ。あんたも、あたしの所為にすんの?」
「それは、そうでしょうね。たわいもない理由で、小林さんにでも突っかかったんでしょ」
「……岸田君。君は、いつも見下したような言い回しをする」
「口調について言われる筋合いはないと思いますが」
「そうなんだが、今の状況では、火に油を注ぐ物だとは考えないかな?」
「そうですね。言葉を返すようですが、聖美にはお灸を据えないと」
「あたしが何をしたと?」
「さて、何かしらね。小林さんと植村さんを困らせる事なんでしょうね」
「う~」
「岩間……先輩! だめ……です! んんー」
博実の挑発に聖美が乗りかかっているのが美也に分かったようで、必至に止めようと羽交い締めした腕に力を込めたようである。
「岸田君……」
「はい」
「君は、岩間君に、何か恨みでもあるのかな」
「いえ。全くありません」
「ないのに、何故そこまでいじめるような言動をする」
「えっ? いじめるだなんて……。聖美がとっている行動や言動の事実を述べているに過ぎません」
「……そうなのか? 私にはそうは見えないし、聞こえないが」
「植村君。何が起こった。ラボに先に出した研究員から、騒ぎが起きてると言われたが」
「……西倉、研究講師教授。……いえ、そうですね。まとめますと、新シフトによるこれからの方針がどうなっているかを研究員に質問した、と言う事です」
「では、何故騒ぎになった」
「それについては、少々難しい判断だと言えます」
「!」
植村が冷静に、平然と教授に報告する内容を聞いていた聖美は、騒ぎになった原因について“難しい判断”として詳細に触れなかった事に驚いたようである。
「では、あそこで羽交い締めにあっている、学生は?」
「……若干、詰め寄りすぎるきらいがありまして……。暴力に訴えた訳では、決してありません」
「そうか……。なるほど……。教授たる我々が、即決できていない事も要因のようだな。なるべく早く結論を出そう。そう言う訳だ、本日は調査を行わない」
西倉研究講師教授は、そう述べると踵を返して実験ラボを後にした。その場に残った面々は、なんとも居心地の悪い感覚を味わっていた。中でも聖美が一番だったに違いなく「美也、離して」と小声だった事からも覗え、植村が現れてから半ば放心状態の美也が「あっ、すいません」と謝ってしまうくらいであった。
「聖美。ほどほどにしておきなさいよ」
「あんたは、またそういう言い方する」
「おいおい」
「な、何ですかね? なんとなく、ばつが悪いというか……」
「そ、そうだな……。済まんな、岩間君」
「あっ。え~。こちらこそすいませんでした!」
*
「あ~。なんか疲れた」
「そうですね。私もです」
「あんた達はぁ。ホントわかりやすいというか、なんて言うか」
「あによ……。あっ」
既にお昼を回っており、聖美達は揃って食道にやって来たのだが、先の騒ぎの顛末でも語っているようである。その視界に、一人で飲み物を飲んで、聖美達を見て微笑んで座っている人物がいたようである。
「遅かったわねぇ。ふふふふ」
「うっ。なんか明子がいつも以上に微笑んでる」
「そ、そうですね。なんか怖いです」
「と、とりあえず、ご飯にしよう」
明子の微笑みに恐怖を覚えた聖美が、ギクシャクとしながら配膳カウンターへと進むと、美也も居心地が悪そうに後に付いていったのである。明子が席を立って二人の後に続いたのは言うまでもない。
各人がトレーを持ってテーブルに着いた直後に「そう言えば、聞いたわよぉ」と、明子が切り込んできた。その表情は楽しそうに見えて、怒りが垣間見えているようにも見えたのである。
「な、何の話?」
「ふふふふ。また、騒ぎを起こしたんだってね」
「いや、えっと。起こしたんじゃなくて、起きたんだって」
「そうね。いつも、起きちゃうだけよね」
「うっ」
「あ、あの……。え~と」
「何? 山田さんは、騒動の内容を聞きたいの?」
おびえる聖美と美也を余所に、部分的にかき回した一人である博実が、あっけらかんと明子に喋ったのである。
「あら。そうねぇ、関係者ですものね、知っているのは当然かしらね」
「簡潔に言えば、聖美が新シフトでの調査方針だっけ? を研究員に質問しただけらしいけど」
「あらま。それだけで? 聖美、どうやったら岸田さんとの大騒ぎになるのよ」
「ちょっと待った。前半はあたしの質問からだったけど、後半は博実も絡んでたでしょ。……あれ?」
「と言うより、岸田先輩が引き金だったような気がします」
「そう?」
「……あのねぇ」
「そうなの? 私が聞いた話だと、聖美と岸田さんが言い争ったって聞いたけれど。違うのかしら?」
「なっ!」
「誰? そんなデタラメ言い触らしたのは、後でひっぱたいてやるわよ」
「岸田先輩、そんな物騒な事言っちゃだめです」
明子の発言に、三人は目をぱちくりさせながら驚いていたのである。聖美は、何を告げたらいいのか困惑しているようであるが、博実については冷静と言って良いのか、美也の言う通り物騒でもある。
「あぁもう。とりあえずご飯食べる!」
「そうよね。冷めちゃうわね」
「頂きます」
「おっ?」
食べ始めたところで、聖美が身震いで声が出てしまったようである。
「岩間先輩? 身震いしましたけど、風邪ですかね?」
「悪さするからでしょ」
「あんたはぁ。あんでそういう事言うかなぁ」
「寝るときおなか出して寝てたんじゃないの?」
「明子までぇ、あたしは子供かい」
「精神年齢はそうでしょ」
「このぉ」
「先輩方、スト~ップです」
美也の一言で、博実を睨み付けていた聖美は食事に戻ったのである。
「おっ?」
「またですか?」
「……」
「先輩?」
「久し振り……。これは、何か……。誰か、の方かな、良くない事を知らせてるんだ」
「何よそれ」
「そんな芸を持っていたなんて、知らなかったわね」
「芸じゃない」
「う~ん。ずいぶん前に二~三回くらいかな、あたし自身の事ではないんだけどね。知り合いとかが大きな怪我したときに間隔を開けた身震いが来るんだよね」
「そう」
「なんか怖いですね」
「……」
「……そっちね。……大丈夫よ、あの二人なら、ね」
「……だといいけど」
~第七章 「心労」 完
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