1クリックすると展開/収納を切り替えます。
「む~」
唸りを上げながら、照明の明かりに照らされた、壁に囲まれた通路と思しき場所を歩く人物がいた。
「だぁ~」
遂にはやや声を張り上げた人物は、大げさな身振りで頭を抱え、再びぶつぶつと何かを口にしながら“一〇二ラボ”と書かれたプレートのある部屋へと入っていく。
「大声出してどうしたんですか。待って下さいよぉ。先輩、岩間先輩。……あ、おはようございます」
「おぉ、おはよう」
声を張り上げていた聖美を追ってきたのであろう、別の人物が声を掛けながら同じ部屋へと続く。入るや立ち止まって礼儀正しく挨拶をしているのだが、追っていた聖美からの返事はなかった。
「先輩?」
「う~。よし! じゃぁ、始めよう」
声を掛ける後輩と思しき人物の言葉を聞いているのかいないのか、徐に背筋を伸ばしたかと思いきや気合いを入れた聖美である。
「先輩……? 何を始めるんですか?」
「うん」
何か考え事でもしているのであろうか、聖美は後輩の問いかけに返事とは言えない言葉を漏らした。
「う~。これだとこっちの理論付けが苦しいか。でもでも、そうすると……。あぁもう」
「……あの、先輩?」
「うん。あ、そっか。……何らかしらの重力遮断があると仮定すると?」
「はぁ。……先輩、私は何を」
「ん?」
「……お手伝い……」
「あぁ~。だめだ~」
聖美の傍らに立ち尽くす後輩。実験用机に寄りかかり、聖美の作業を見詰める事しか出来なかった。
「井之上君?」
「はい」
「どうしたね」
「いえ、その……」
近くを通った研究員に声を掛けられる美也だが、言い訳を思いつかなかったのか歯切れが悪くなった上に視線を逸らしてしまった。
「岩間君」
美也の隠しきれない表情に、研究員が聖美に声を掛けるのだが、集中しているのか聞こえていないようである。
「岩間君! ……駄目か。しかし珍しいな。授業でもこれくらいだと嬉しいんだが」
「はぁ、そうですか……」
「……あ、あぁ。困ったか」
「……はい」
再三呼んでも応えてくれない聖美に、美也は疎か研究員も頭をかきながら困り果てるしかなかった。
*
「はぁ」
「美也ちゃん。何か疲れているようだけど、大丈夫?」
「あ、お構いなく」
「そうは見えないんだけど。聖美」
はぐ。もしゃもしゃ。
「ん? わに。んぐ」
なんとも素っ気のない返事をする聖美は、相変わらず食べながら喋っていた。
既に時刻はお昼を過ぎており、聖美と美也もお昼を取りに食堂を訪れて明子と合流していた。ちなみに正人は本日も別行動でお昼を共にはしていない。
「もう。口に物入れながら喋らないでっていつも言ってるでしょ」
「ほう……だっけ?」
言われる傍から頬張りながら喋り続ける聖美である。
「美也ちゃんが疲れてるわよ。気が付いてないの?」
「そう?」
「あのねぇ。一緒に調査してるんでしょ、ちゃんと……」
「大丈夫、大丈夫」
そう言いきった聖美は再び昼食に戻るのであった。恰もその行為は、周りの全てを無視したいかのようにも見受けられる。何かを忘れたいが為に……。
「聖美。もう」
「いえ、良いんです。私は……大丈夫……です……から」
美也は言葉を詰まらせながら、明子の気遣いを流そうとする。するのだが、表情が暗くなる一方であった。
「ちょっと聖美」
「さっきから、あに」
「何かあったの?」
「何にも」
「嘘よ」
聖美の口調に釣られたかのように、明子も強い口調に変わってしまっていた。
売り言葉に買い言葉、と言って良いのか。時として、何でもない事柄をきっかけに喧嘩が起こることがある。この二人、いや三人には、楓と薫が消えたという重しがまだ心にのしかかっているのであろう。
「あんであたしを気にするの明子」
「友達じゃない、当然でしょ」
「む~」
「あ、あの。お二人とも落ち着いて下さい」
「あんで。落ち着いてるじゃん」
「何処がなのよ。苛つくのは分かるけれど、美也ちゃんのことを忘れてない?」
「忘れてないよ」
「いいえ、そうには見えないわ。美也ちゃんと一緒に作業してるの?」
「うっ」
「ほらご覧なさい。美也ちゃんに八つ当たりしてもしょうがないでしょ」
言い合いになりかける明子と聖美だが、聖美が墓穴を掘ったことで明子の表情が和らいでいた。一方の聖美は、目が泳ぎ、たじろぐしかなかった。
「そ、そう言う明子はどうなの?」
「ど、どうって。特にこれと言って……。えぇと……」
「ふ~ん。明子も同じって事じゃ」
「……はぁ。……そうね、同じかもしれないわね。でもね。石本君をないがしろにするようなことはしていないつもりよ」
「で、でもさぁ。あたしは引っ張るタイプじゃ……」
「あ、そう言われると……。確かにそうかもしれないわねぇ。……とすると。……美也ちゃんに指示出して貰う?」
「……えっとぉ。それだと……岩間先輩の……」
「う~。それって何か違う気がする。……けど、それも良いかも」
苛ついていた聖美も、いつの間にか明子に乗せられたのか表情が穏やかになっていた。しかも、先輩としての威厳を捨て去るようなことまで言ってしまっている。聖美らしいと言えばそうなのだが、果たして何処まで本気なのやら。
「え~、良いんですか? 先輩をこき使っても」
聖美の言いように、暗く沈んでいた美也の表情もぱっと明るくなっていた。いや、鼻息が荒くなっているようである。
「うっそだよぉ。美也も元気になった。うん」
「もう。先輩の意地悪」
「美也、ごめんね。不届きな……。あれ? なんか違う気がするけどよろしく」
「あぁ。……はい」
「聖美ぃ。それを言うなら不慣れなとかあるでしょ。ホントにしょうがないわねぇ」
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「う~。えっとぉ」
──美也と連携。美也と連携。
「はい」
──美也と、何を連携?
「あ~。何やりたい?」
悩んだ挙げ句、とんちんかんな事を言い出してしまう始末である。それを聞いた美也は、困り果てながら……。
「はい? あのぉ、岩間先輩?」
困り果てている美也を余所に、上級生としては減点間違いなしの言葉を口にした聖美である。
聖美の表情は、眉間に皺を寄せてかなり険しくなっている。更には、冷や汗なのか知恵熱の所為なのか定かではないが、顔の汗は半ば滝のようである。
明子に指摘された事で、何とか美也と連携をしようと奮闘を始めて二日目。未だ上手くいっていないのが伺える。本人曰く“引っ張るタイプではない”とのことで、先が思いやられそうである。
「ぬぬぬ。だぁ~! 無理!」
「ひっ! い、岩間先輩。大声出さないで下さいよぉ」
「あんでよ」
「え~と。周りの事も考えて下さい」
「だってぇ」
「だってじゃありませんよ」
子供のように半ば膨れて投げ出そうとする聖美、少々困った表情で抑えようとしている美也。攻守逆転した様相を呈してはいるものの、暗く沈みがちな調査にあっては微笑ましい光景である。
「はははは。岩間君、それではどっちが先輩なのかわらないよ」
「ぶ~」
やや離れた場所にいた上級生から、ちくりとしたお小言が飛んできたのだが、それを聖美は頬を膨らませて応えてしまっている。その光景に、軽い笑い声が広がるのだが、聖美の傍らの美也は顔を伏せ縮こまってしまう有様である。
「もう、それ止めて下さい。恥ずかしいじゃないですか」
「う?」
「あぁ~」
「え~、だってぇ」
「あぁ、またぁ。……そろそろ一〇一にいきますよ」
「えっ? まだ早いんじゃ……。おぉ。美也、引っ張らないでよぉ」
あまりの恥ずかしさに居心地が悪くなったのであろう美也は、一人ではなく聖美を引き連れてラボを出て行ってしまった。引っ張られている聖美は、いつものことと感じているのであろう、どちらかと言えば美也に引っ張られていることに困惑しているようではあるのだが……。
──む~。美也はどうしたんだろうか? ……そう言えば、恥ずかしいって言ってたような……。なんで?
一〇一ラボへ向かう中、引っ張られるに任せたまま、上の空で考え事をしている聖美である。
一〇一ラボの扉が閉じていたため、ブザーを鳴らした美也は扉を開け、聖美を引っ張って中へと入っていった。
「入ります」
「おや? まだ早いよ。どうした?」
「あっ、岸田先輩。い、いえ」
美也と聖美の入室に気が付いた制御室傍にいた学生に声を掛けられたのだが、歯切れの悪い回答しか出来ない美也がいた。
「ふふふ。何? 手を繋いで入室なんて。……あっ。聖美、また何かやらかした? しょうがないなぁ」
“岸田”と美也が呼んだ人物。岸田博実。一九歳(もうまもなく二〇歳である)。聖美や薫とは同級であるが、薫とは会話の機会が殆どなく顔見知り程度である。
ボーイッシュな長さの黒髪で耳を出している。そして、やや釣り目気味で細い部類の目と、やや細面な顔立ちである。加えて、顔に劣らず体の線も細くきゃしゃと言えるが、聖美より高い一七五㎝ほどの背丈がある。それでもそれなりの女性体型はしている。
顔つきから来る知的な印象とは裏腹に、ややぶっきらぼうな喋り方であるが、美也への接し方からも後輩には優しいようである。
「いえ、そう言う……」
「言わなくても良い。大体想像が付くし」
「はぁ」
「で、いつまでお手々繋いでいるつもり?」
「え、あ……」
そそくさと握っていた聖美の手を離す美也は顔が赤くなっていた。その一方で、引き連れられてきた聖美は……。
──……むむむむ。何が問題?
手を離されたことにも気が付かず、美也が言った“恥ずかしい”に悩み続ける聖美であった。
「聖美?」
「岩間、先輩?」
「あ、駄目だわ。何か難しいことでも聖美に言った?」
「え? いえ。そんなことはない筈ですが……」
美也が困り果てているその間も、聖美は悩み続けているようで、とうとう腕組みをしてしまうほどであった。仕舞いには辺りをウロウロし始める始末である。
「早く来たついでと言っちゃ何だけどこっち手伝って。聖美も、って。……ちょっと何処行ったの」
「今までそこにいた筈ですが……。もう、岩間先輩! 何処ですか」
一瞬目を離した隙に何処かへ行ってしまう聖美。正に子供のようである。いや、今回は美也とのやり取りに悩んでいたせいもあるのであろう。ウロウロしていたはずが、いつの間にか……。
「ちょっと、聖美、何処登ってるの!」
いち早く見つけたのは博実である。
見つけた場所は、何と一〇一ラボの壁面をぐるりと回っている階段であった。しかし、手すりも付いており危ないと言うことはない。ないが、下層は五メートル単位に踊り場が設けられており、実験で使われる柵は開閉可能である。
考え事をしているためであろうか、博実の声が聞こえていないようで、最初の踊り場まで登り切っていた。そのまま踵を返しており始めた。だが……。
「聖美! 危ない!」
「先輩!」
「は? ……あっ」
二人の怒鳴り声に聖美が二人の方を向いて、“何よ”という表情をしたのだが、次の瞬間には聖美の意識は途絶えていた。
*
「うっ。う~。……ふ? ど……こ……」
シャッとカーテンの滑る音が聞こえたものの、まだ状況把握が出来ていないようである。
「目が覚めたのね、聖美。良かったわぁ」
「先輩。大丈夫ですか?」
「大丈夫だと言ったろう」
「でも」
「脳には異常はない。軽い脳震盪だ。ま、数時間は安静にして貰うが」
「……ここは……。医療室?」
何が起こったのか未だに理解できていないようで、ぽかんとしたままの聖美がいた。おぼろげに分かってきたのは、ここが医療室であろうと言うことと、何かをしてしまったと言うことである。
「そうよ」
「あんで……こんなとこに……」
「盛大にではないが、一〇一ラボの外周階段から落ちたそうだ」
「へ?」
「本当ですよ」
「美也。担いでも駄目だよぉ。あんであたしが外周階段に?」
「あぁ。やっぱり覚えてないんですね」
「あにが」
聖美の会話が次第にいつも通りに戻りつつあるのが、ふくれっ面で応えていることからも分かる。
「何処までなら覚えてるの?」
「えっとぉ。一〇二ラボから美也に手引っ張られて一〇一ラボに入って、美也が何に恥ずかしかったのか考えてて、で? どうしたんだっけ?」
「え~。私と岸田先輩が大声出したとき、こっち見たじゃないですか。それ、覚えてないんですか?」
「うん」
「即答ね。完全に心ここにあらずだった訳ね」
「え~。あによそれ」
聖美は腕組みをして、いつになく真顔になって思い出そうとしたのだが、結局肝心な部分は抜け落ちてていたようである。美也は、落胆ぶりが分かるほどに肩を落としていた。
「それはそうとな。考え事をしているときに、階段はいかんな、階段は」
「そんなこと言われたって……」
「そうね。注意力散漫ね。……まぁでも良く階段上れたわよねぇ」
「山田先輩。そこは感心しないで下さい」
「そうだったわね。ごめんねぇ」
「そうだ。付き添いの方達には話して置いたが、岩間君にも診断結果を話しておこうか」
明子に美也と、それに医者の小言合戦になってしまい、肝心の怪我の程度を聞いていないことに気が付いた聖美は、ふてくされかけていた表情が一転して真顔となってゴクリとつばを飲み込んだ。
「左足首の軽い捻挫だ」
「はぁ? 骨折とかは?」
「スキャンもしたが異常なしだ。捻ったりしなければいたくないだろう」
「確かに、今は……」
ぼそりと呟いた聖美は足首を少し捻ってみたところ、痛みに「ひっ!」っと声を上げた。
「ふむ、そう言うことだ。普通には何とか歩けるだろう。だが、くれぐれも走るなよ」
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聖美が一〇一ラボの外周階段で怪我をして二日。お昼にはもう一時間ほどはあろうかという頃……。
「あ、よっこいしょ。ふぅ~」
「あぁ。それじゃぁ、若者とは言えませんよ」
「いいじゃん。そう言いたい状態なんだからさぁ」
「はいはい」
左足を気にしているのであろう事が、聖美の疲れた表情からも窺い知れる。方や美也の受け答えが少々素っ気なくも、はたまたあしらっているように聞こえるのは、聖美にあまり深刻に受け止められないようにとの気遣いであろう。
「あ、先輩。これ、怪我した日の実験結果だそうです」
「うっ。それ言わないでよぉ」
「あっ、ごめんなさい。別にそう言う意味で言ったんじゃないんですよ」
せっかく持ってきたのに、と言いたげな様子がその表情から伺え、嫌みのつもりもないのであろう。そうは言っても聖美にしてみれば、自分でしたことではあっても怪我をしてから日が浅いため気が重くなるようである。
ここ二日で、美也にお願い事が増えた聖美である。怪我をしたことも手伝って、美也が積極的に聖美をフォローしているためでもある。
「美也。ごめん」
「……突然なんですか? どうしました」
「そんなに驚かなくてもいいじゃん」
「あっ、すいません。突然だったからちょっと……」
「う~。……もういい」
照れ隠しか、そっぽを向いて自分の作業に戻る聖美は、うつむき加減である。
「……あっ」
「何ですか?」
「……何でもない。よっこいしょと」
「ちょっと先輩? 何処行くんですか」
声を掛けようとしたのか、途中で止めてしまった聖美は、机に両手をついて徐に立ち上がった。気が付いた美也が問いただすが……。
「……ちょっとね」
「……む。先輩、資料とかいるものがあれば私が取ってきますから、言って下さいよ」
「え~と、大丈夫」
と言いながらゆっくりと左足を庇いながら歩いて行こうとする聖美に……。
「先輩……」
「ん?」
「……そんなに。いいえ。確かに、私は頼りないかもしれませんが、今の先輩の状態ではもっと使ってもいいと思います」
「……いや……でも。……あ~。分かった分かった」
濁して終わりにしようとした聖美だが、美也の今にも泣きそうな顔を見て、諸手を挙げて降参したようである。
*
「やったぁ~。お昼だぁ~」
「元気でましたね、先輩」
「意地悪だよ、美也はぁ。あははは」
「えへへへ。大丈夫です。私もですから」
「あによぉ」
等などと、調査から一時的に解放された二人は、満面の笑みで食堂へと向かっていた。
「あら。ぼこぼこコンビだわ。石本君、一緒にどう?」
「いや、今日も遠慮しておく」
「そう。それじゃまた後で」
こちらはこちらで、あくまでさっぱりしていると言って良いのか。正人は未だに明子達と昼食を共にしていない。女性とは問題があるのか、そもそも一人が好きなのか。果たしてどちらなのであろうか。
「あ。明子、さっきの聞こえたよ」
「何がかしらねぇ」
「あのねぇ。ぼこぼこコンビってあに」
「“でこぼこコンビ”なら聞いたことがあったような気がしますが……」
聞き捨てならないと言いたげな聖美に、美也が正当な突っ込みを入れている三人は、聖美に合わせてゆっくりと食堂へと入っていった。
ちょうどニュースが流れており三人の耳に届いた。
「……繰り返しお伝えします。本日、西暦二一二八年九月一〇日、一〇時頃、日本におきまして学生の行方不明事件が発生しております。詳細は確認中との事ですが、芸術科の学生が数人消えたとの情報が入っております。詳細は分かり次第お伝えします。
続きまして……」
何度かこのニュースが流れていたようで、既に食堂にいた学生達からは、驚きの声は上がってこなかった。一方、今やってきた聖美達は……。
「ふえ~。またあったんだ」
「いやですよ、ホント。対象にはなりたく……」
「美也ちゃん」
「……あっ、ごめんなさい。また……」
ぼそりと小声で美也に注意する明子だが……。
「……うん。大丈夫。美也、気にしてないよぉ~」
思い出したのであろう、だが聖美は美也を気遣って、うつむき加減にはなったものの元気な声で応えている。
「もう、駄目じゃない美也ちゃん」
「すいません……」
「明子。まぁ悲しくないなんて言わないけど、それもで明子と美也がいる。だから大丈夫。で、席取っておくからAランチよろしく」
そう言い残して、聖美はそそくさと空いてる席を探しに向かった。
「大丈夫でしょうか?」
「ま、本人がそう言ってるんだし、大丈夫でしょ。さ、美也ちゃん。ご所望のAランチ買いに行くわよ」
「そ、そうですね。私は何にしようかな」
落ち込み掛けた美也を元気づけた明子は、揃って昼食を買いにカウンターへと向かった。
「え~と。岩間先輩はAランチ……? あっ、山田先輩。代金どうしましょう」
「あら、忘れていたわね。ちょっと待っててね」
美也が後ろにいる明子に、振り返って困った表情で問い掛ける。受けた明子は、うっかりしていたかのような受け答えをし、美也を残して列を離れていった。
しばらくして、やや息を弾ませて戻ってきた明子が……。
「美也ちゃん……お待たせ。聖美の分は……私が代行するから自分の分だけ買っていいわよ」
「はい。すん……ありがとうございます」
美也の状態に、明子が列の後ろに並ぶ学生に視線を向けると、首で手で何もしていない事を意思表示する。この状況下において、誰もが辛い事を理解しているからこその気遣いでもあるのであろうが、どうやら、それが逆に針のむしろ状態であったようで、半ば涙声になっている美也である。
無事に昼食にありつけた聖美は特に落ち込んでいる様子を見せず、現状の調査状態やいつまで外出禁止令が続くのかなどを話しながら昼食を平らげていった。
「あ~、食った食った」
「聖美ぃ。その言葉遣いは良くないわよ」
「え~、いいじゃん」
「ふふふ。岩間先輩らしいですけどね」
「あによそれ」
ピンポーン。
「ふ?」
「あら、何かしらね」
「他の学校で、何か進展でもあったんでしょうか?」
ピンポーン。
「あにやってんの」
「お昼時ですが、緊急の連絡があります。既にニュースを聞いた方もおられると思いますが、本日一〇時頃学生の行方不明が発生しております」
「あ、さっきニュースで言ってたやつだ」
「しっ!」
「大まかな概要が学生連絡会経由で入りましたので、先行してお知らせします。我が国で行方不明になった学生は一〇人から二〇人との情報です」
「に、二〇人?」
素っ頓狂な声を上げたのは言うまでもなく聖美である。と同時に、この放送に誰もが耳を疑ったようで食堂内にざわめきが起きた。
「今の内容に驚かれていると思いますが、お静かにお願いします」
この言葉の後に続いたのは無音だった。動揺が静まるのを待ってでもいるかのようで、後の発表は、更に重要であると言う事なのであろう。
「……今回の行方不明は、日本だけにとどまらず世界各国で同様に発生している模様で、同時発生と言って差し支えないようです。今のところ分かっている専攻は芸術科で、他の科は含まれていないようです。ですが、当校におきましてもこれから校内にいる筈の学生を確認しますので、ご協力をお願いします。詳細は追ってメールでご案内します」
放送が終わるや再びざわめきだつ食堂内。いや、学校中の至る所で騒然となっている事であろう。中には、恐怖に怯える者もいるであろう。
「……え~と。で、どうする?」
「どうするって言ってもねぇ」
「そうですね」
三人は割合と落ち着いているように見えるが、明子の言うとおりで、一学生がどうにか出来る範囲を超えているのは確かである。
「おぉ、山田さん。どうする?」
「あのね。どうも出来ないわよ」
「そ、そうか」
明子に声を掛けてきた同級の男子学生は、半ばパニックになっているようである。一方明子は、何も出来ない事を告げているが、果たして男子学生に何処まで伝わったのか。
「む~」
「聖美。唸って考えたところで既に起こった事よ。何をするって言うのよ」
「おぉ。流石明子」
「そう言えば、そうですね」
「……ニュースをお伝えします」
食堂内がざわめいている事で最初の部分がかき消えてしまったが、食堂のスタッフが映像に気が付いて音量を上げたようである。
「臨時ニュースをお伝えします」
食堂内のざわめきをかき消す音量でニュースが流れていた。
「うわっ。五月蠅い」
「本日の学生行方不明ですが、新たな情報が入り、緊急を要すると判断しましたのでお伝えします。
既にお伝えしております通りに日本で発生しております。ですが、その後の情報によると世界各国で同時に発生している事が分かりました。また、人数は国によってばらつきはありますが、およそ五人から二五人ほどではないかとの事です。このことから、世界各国の人数を合算しますと少なくとも一〇〇人は今回の行方不明にあった公算が高いという事です。
続きまして、各国の防止体制についてですが、殆どの国で対象となる学生の外出禁止ないしは同等の措置が執られていた模様です……」
大音量でニュースが流れる中、誰一人として言葉を発せられる者が食堂にはいなかった。世界中の至る所で同時に一〇〇人もの若者が行方不明となった事態である。どのような言葉にすれば良いのか分からないのかもしれない。
~第三章 「集」 完
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