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Soly japanese only.
書き物の部屋のイメージ オリジナルと二次創作を揃えております。拙い文章ですがよろしく(^_^)!
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 月は変わり、六月も既に十日が過ぎていた。今日は抜けるような青空で、日差しが痛いほどに眩しいその早朝。楓は、久し振りに家族揃っての団らんな朝食を取っていた。
「お父さん。今日は早出じゃないんだ」
 食卓にやってきた楓が“今日はまだいたんだ”と言った表情で父親に質問を投げかけたのである。
 ここしばらくは、会っていなかったようである。
「そうだ、今日は一般的な出勤だよ」
「一般的?」
「会社勤めの人たちが出勤する時刻、九:〇〇だからね」
「ふ~ん」
「何だ? お父さんがいない方が良かったのか?」
「そ、そんなことある訳ないじゃない。何言ってんだか」
「ふふふふ。楓は、お父さんがいないと寂しいのよね」
 父と娘の久方ぶりの会話を微笑ましく思いながら、少々からかうような笑みを浮かべ、話している楓の母親がそこにいた。
「な、なんて事言うかな、お、お母さんは」
 慌てふためいている楓と、それを見守っている両親を見ているとなんとも和やかである。
「そんなに寂しいか。はははは」
「ふふふふ」
「もう、知らない!」
 結局、膨れてしまう楓であったが、朝のせわしない食卓にあって、なんとも微笑ましい光景であろうか。
 お喋りが一段落した頃……。
「次のニュースです。
 日本政府より芸術学部に通う学生に、自宅からの外出禁止が発令されました。政府の発表によりますと、この所、芸術学部に通う学生の行方不明者が、増加傾向にあるためだと言うことです」
 神隠し程度ですまされないほどに頻発するようになった行方不明に対して、政府がやっと重い腰を上げたということのようである。只、救いがあるとすれば、行方不明となっても一週間ほどで全員が無事に戻ってきている事であろう。とは言え、政府としては、行方不明になる事が問題であると言う事の表れなのであろう。
「あら、凄いことになってきたわね」
「人事のように聞こえるね」
「あら、ごめんなさい。でも、楓は化学だから大丈夫ね」
「ん? まぁ、基底学部だけど。でも、ちょっとだけいるんでしょ?」
「そうだな。楓も気を付けないとな」
「どうやってよぉ」
「あ、そうか。原因が分かっていないんだったな。こりゃいかん」
「……でも、いいな」
「今のは聞き捨てなりませんね。楓は、単に学校をさぼりたいだけなのでしょ」
 リビングで待機している筈のiRoboが、いきなり起動して茶々を入れてきたのである。
「あぁ! あんてこと言うかな、iRoboは~」
「楓、食事中でしょ。行儀が悪いわよ」
「えぇ、だってiRoboがぁ」
「仲が良いのだな」
「えぇ~。そんなことないよぉ。iRoboってば、口を開くと小言ばっかりだし」
「それも聞き捨てなりませんね。それは、楓がちゃんとしていないからでしょう」
 iRoboが、楓の言葉を聞き逃さずに反論すると、すかさず楓が反撃に出ることになる。それを再びiRoboがやり返している。詰まるところ、仲のいい姉弟とも友人とも言えるのかもしれない。
「ほらまたぁ」
「はいはい。いつまでお茶碗とお箸持ったまま立ってるの、早く食べなさい」
「はぁ~い」
「……警護に就かせると発表がありました」
 会話の合間にこぼれ聞こえる、ニュースの言葉が気になった父が、「静かに」と楓と母親の会話を遮ったのである。母親は気になる事があるのだろうと涼しい顔で口を噤んだが、楓はまだ何か言いたそうにしながらも父親の言う事を聞いて黙ったようである。
「繰り返します。地連のARCCによりますと、主に芸術学部の学生が住む高層住宅を中心として、警護に就かせると発表がありました。尚、開始は本日からで、既に配備が始まっている高層住宅もあるとのことです」
「う~む。……少々大げさすぎるように思うな」
「あら大変」
「……」
 母は驚きの言葉を発するが、楓は愕然として言葉を失ってしまったようである。
「しかしなぁ……。そこまでに事態が悪いのか? ここまでする必要があるのか?」
「楓は大丈夫かしら」
 訝しみながら父親が疑問を口にし、母親の方は心配そうな表情をしていたのである。

     *

 けたたましいサイレントが響き渡る地階に、ARCCの車両が隊列を組んで整然と入ってきた。その光景を、停車場で漠然と眺める人々がおり、その中に楓もいた。
――こりゃぁ、本当に凄いかも。お父さんが言った通り、やり過ぎじゃない?
 早々にARCCを目の当たりにして、楓にも事態の深刻さが実感もって感じられたようである。それと、ARCCが雪崩れ込んできたことによる、慌ただしさに目を奪われてしまう人々と楓であった。
――ん? ちょっと、痛い……かな? そう言えば、緑地の木々は大丈夫……かな。……う……そ。痛みが……。
 痛みを覚えた楓は、増す痛みに顔を歪めながらその場に蹲ってしまった。
「あの……。大丈夫?」
「は、はい。だ、大丈夫です」
「……どうされました? お加減でも悪いのですか?」
 直ぐ側にいた女性が楓を気遣っていると、その様子が移動中のARCCの目にも止まったようで、楓の元まで駆けつけてきた。
――……反応良すぎだよぉ。
「急ぎ、救急の手配を……」
「だ、大丈夫ですから」
「とても大丈夫には見えません。失礼します」
 そう言ったARCCは、楓を脇に抱えてグランド・バスを待つ列から連れ出そうとする。
「……あ、あの。ホントに……大丈夫……ですから」
 まだ痛みがあるのであろう、抱えられている状態を振り払うことも出来ない楓は、唯々訴え続けるしかいようである。
 軽いと考えていた楓であるが、どうやらそうも言っていられない程に強くなっているようで、時折見せる表情からもそれが伺えた。それ故、ARCCも強硬手段に出たのかもしれない。
「だ、大丈夫……です。学校へ……行かないと……」
 抱えているARCCから体を捻ってやっと逃れた楓は、停車場に戻ろうとしていた。ARCCの方も意地にでもなっているのか、楓を捕まえようと必死になっているようである。
 そこへ、グランド・バスが到着する。楓とARCCの些細な揉め事は、到着したばかりのグランド・バス車内からも見ている人がいた。
「楓!」
 大声を上げて降りてくる女性がいた。
「お知り合いの方ですか?」
「友人です」
「そうですか。では、説得にご協力をお願いします」
「説得……ですか?」
 楓の状態から大方の予想がついていたのであろう女性が、何を説得するのか訝しんだようである。
「はい、そうです。停車場で急に蹲られたものですから、体調を崩されたと判断しました。ですが、救急を呼ぶことに同意されなかったため、緊急措置として場所を移動しようとしたのですが……」
「いつものことですから、問題はありません」
「し、しかし、これは尋常ではないと考えますが」
 ARCCが楓のことを知らずとも、現状において心配しているのは事実である。しかしその女性にしてみれば楓の痛みを知っており、それ故に痛むことは問題であったとしても、日常的に起きることであるため問題と見なしていないのも事実である。互いの理解している度合いの違いと言ってしまえばそれまでであるが、双方ともに、楓を心配している事に変わりはないのである。
「病院に行くことに意味はありません。……楓、学校に行けるわね?」
「……うん。大丈夫……だよ、薫」
 痛みをこらえている表情ではあるが、楓ははっきりと答える。
「し、しかし……」
 二人のやり取りに、ARCCが言いよどんでしまうのは致し方がないと言える。更に、薫の口調に怯み躊躇していると、徐に薫が楓の左腕に付けている携帯端末の操作を始めた。
「何をされるのですか。いくら友人とは言え、他人の端末を操作するのは……」
 薫が操作した携帯端末に表示された内容を見たARCCは、「……分かりました」と、何とも言いがたい表情を浮かべつつ、薫が示した楓の状態を理解したのか、捕まえた楓の腕を放さざる終えなかったようである。
 薫は楓を引き取り、止まったままのグランド・バスに乗り込んでいった。



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 楓のここ一週間は、前ほどではないにせよ痛みが続いている事に変わりはなかった。時折、周りに気付かせてしまう事はあるが、そんな時はカラ元気を出して心配させまいとしているようである。
「もっと、みんなに心配させないで済めば、良いんだけどな……」
 土曜日の昼下がり。自分の部屋で独り呟く楓がいた。悩みは未だに続いており、軽いとは言えその痛みはどこから来るのだろうかと考えているようである。
「はぁ~」
 ため息を漏らしつつも何かをするでもなく、ベッドでクッションを抱えて座り込んでいたところ、「ピンポーン」と壁面の液晶からチャイムが鳴った。
 どうやら、来客のようでそれを告げるアイコンが点っていた。
「iRobo、誰?」
「薫さんです」
 ドタバタと自室を出て階下へ降り、玄関のドアを開けると、「楓」とやや抑えめではあるが笑みを浮かべた薫が立っていた。
 楓はドアを開けたまま、びっくりしたような表情で出迎えていた。今日は約束をしていた記憶はないようであり、何故なのかと言ったところなのであろう。だが、約束はしていなくとも、訪れてはいけない道理はない。
「どうしたの?」
「また、随分なことを言うわね。この所、元気ながないようだから、元気付けるために来たのだけれど、問題があるのかしら?」
 いつものことと言ってしまえばそれまでだが、楓曰く心配性が出ているのであろうか。それでも一番の友人である。やはり、楓のことが心配で仕方がないのであろう。
──あはは。薫にはばれてたか。
 その気持ちをありがたく頂戴することにして、「ありがと。さ、上がって」そう言って中へと招いたのである。
「おじゃまします」
「あ、先に私の部屋に行ってて、なんか飲み物持ってくから。何でも良いよね?」
「楓、良いわよ」
「遠慮しない、遠慮しない」
「そう。それじゃ、頂くわ」
 いつものように振る舞っている楓は、飲み物を自身の部屋へと運んでいった。
 その後、もう半年もすれば二十歳を迎える二人ではあるが、まだまだ学生を味わっている女性である。誰それがどうしただとか、講義で面白いことがあっただとか、たわいのない話をしたようである。
──楓。今の元気は私が来たからなの?
 楓の妙な元気が気になる薫である。ふと、楓からの会話が途切れると……。
「楓。痛みが出たの?」
「やだなぁ、ちょっと喉が乾いただけだよ。心配性なんだからぁ」
 などと言われてしまうが、果たして本当なのか……。
 再び楓の会話が止まると、どうしても心配してしまう薫に対して……。
「……もう。大丈夫だってばぁ」
 その刹那、垣間見えた表情に、耐えているのだと分かった薫の表情が曇りがちになる。流石に、楓もその表情を見て、「薫ぃ。大丈夫だってばぁ」と返すのが精一杯なようであった。
 楓は、はしゃいでいるように見せて薫を安心させようとしているのであろう。
──楓。あなたって人は、私を……。
 薫の心は痛み、悲しくなる。それでも、その意図を汲み取って、何とかいつも通りに接し続ける薫であった。
 その後も、お互いに痛みに対して気を遣いながらの会話が続いていた。しかし、楓が前屈みになると、「楓!」ひときわ大きく叫んでいた薫である。
「だ、大丈夫……」
 そう言いながらも、支えられた薫の手を握り返している楓がいた。
「本当に……」
 リーン。リーン。と、会話を遮るかのように、壁面の液晶からベルが鳴った。
「つ、通話だ。誰からだろう……。iRobo、通話相手……確認」
 痛みを堪えながら、通話の主を確認するように指示を出す楓である。
 発信の主は、利樹であった。
「……音声のみなんて、都合が良いな……」
「楓、無理じゃないの?」
「大丈……夫」
「通話……許可」
「藤本さん。突然で申し訳ないです。今は大丈夫ですか?」
 状態が状態だけに、気が気ではない様子の薫であるが、楓は……。
「今、薫が来てるんですけど……」
 少々語尾が弱くなるものの、薫が来ていることを告げて、あるいは、それで断ることができるかもしれないと期待を抱いたようである。
「そうでしたか。……では、私の方はかまわないですから、お二人で下の緑地公園に来て頂けますか?」
 利樹の返答に、楓の期待は儚く潰えてしまったのである。
 痛みに耐えながら、仕方がないと判断した楓は、「薫、……どうする?」と薫に確認することは忘れていないようである。薫としても聞きたいことが山ほどある。それに、利樹の言葉に感じた緊張感から何かあると推測した薫は了承する。
 数分後。楓と薫は、利樹を捜して緑地公園にいた。
 緑地公園の中で、隣接する高層住宅と行き来できない場所。つまり、公道に近い場所に利樹はいたのであった。
「突然、呼び出して申し訳ないです」
「いえ。大丈夫です」
「楓、痛みはどうしたの?」
「そう言えば、……治まったみたい」
「そう……」
 痛みがないように感じた薫は、楓に耳打ちして確認すると、今気がついたかのように返す楓であった。
 二人の内緒話が終わるのを見計らって……。
「さて、もう一つ突然なんですが。……藤本さん。このままで良いのですか?」
「ほっ?」
 何のことを言っているのか戸惑う楓と、その傍らにいた薫でさえ、利樹の言いたいことが分かりかねているのが二人の表情から読み取れる。その一方で、この期を逃してはならない、と言う思いも薫の中で募っているようである。
「森里さん。木々の枯れと萌え、動物たちの異常行動、その全ては楓の痛みに繋がっているのですか? 答えを聞かせて頂けますか」
「……もう一度聞きますよ。このままで良いのですか?」
 薫の質問には答えず、再度、楓に質問を投げかけている利樹であった。
「森里さん、楓の答えがでるまでの間、私の質問に答えて頂けませんか」
 薫もまた、再度同じ質問を投げかけるが、答えようとしない利樹がいた。
「森里さん!」
 薫はなんとしても答えを聞き出そうとする。しかし、答えを知っているであろう利樹は、薫ではなく楓を見詰めたままである。
「……あの。私も聞きたいです。木々の枯れと萌えと動物たちの異常行動、全てが私の痛みに繋がってるんですか?」
 突然であり、理解しがたい質問を浴びせられた楓が、唐突に薫の援護射撃をするかのように問いかけたのである。しかし、投げかけられた問いに答える者はなく、三人が口を閉ざし、三竦みになってしまったようである。
 利樹は、こんな状況にもかかわらず口を開こうとはせず、ひたすら楓の答えを待っているかのようである。
 薫には、意地でも答えてもらおうという気持ちが、視線に表れていた。
 楓は、先に出された利樹からの質問の意味が分からず困惑している様子であり、薫の問いに答えて欲しそうでもある。
──森里さんは、何のこと言ってんだろうか。う~ん。このままで良いのか、ねぇ。はて。このままで良い、何がこのままで……。まさか! え~と、どう答えれば……。
 利樹の問いに思い当たり、視線を泳がせてしまう楓であった。



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 学校の木立。その中程でいつものメンバーが揃って会話をしているのだが、楓にいつもの元気がないようである。
 三日ほど前、利樹に問い詰められ、何かに思い当たってからが顕著のようである。結局その日、逃げるようにその場を離れ、利樹には何も告げられなかったのである。当然、その場にいた薫にも何も告げなかったのであったが、その薫は、いつもと変わらないように振る舞っている。しかし、視線が楓に向いてしまうことから、楓のことが気になっているのが伺える。幾分か、いつも通りとは言いがたい状況に陥っている様子である。
「よぉし。今日の帰り、ケーキバイキングに行こう、楓」
 楓を誘う聖美は、楓に元気がない事くらい分かっている。更に言えば、楓に元気がないとつまらないからでもある。じゃれ合いの口喧嘩とは言え、である。
「ほっ?」
「あによぉ、あたしの誘いに乗らないつもり?」
「あ、そうじゃないけど……」
 何か気乗りがしないような、いつもの元気な楓からすると歯切れが悪い。やはり、先日の“このままで良いのか”と問われたことが、気になっているのか。あるいは、未だに続く痛みに何かしら疑問でもあるのであろうか。
「んじゃ、あたしの勝ちだ」
「あんで勝ちなのよぉ」
 “勝ち”という言葉に反応してしまう楓がおり、乗ってきた楓に聖美はにやけていたのである。
「楓が行かないからに決まってるじゃん」
 きっぱりと答える聖美に、なぜか怒りがわき上がる楓は、「行く!」と返答していた。その返答に、更ににやける聖美がいたのである。
「あんでにやけてるのよぉ」
「教えな~い」
 これでやっといつもの会話が成立したようで、薫も少々安堵するのであった。
「きゃぁ~」
 遠くから、女子生徒の悲鳴が聞こえてきた。条件反射的に、声のする方角である木立の外へと頭を巡らす四人であった。
「な、何だありゃぁ~」
 今度は、男子生徒の叫びが聞こえてくる。相次ぐ悲鳴と叫び声に、木立の中にいた生徒達が飛び出していった。その中には楓達の姿もあった。
「な、なんだ、あれ……」
「そ、そんな、馬鹿な……」
 先に出ていた生徒達が見上げる空……。そこには物体が横たわっていた。その場にいる殆どの生徒が、あまりの出来事に立ち尽くしていた。
「……全貌が見えないわね」
 冷静さを取り戻した薫が、学校事務棟の方へと走り出した。
「あ、薫ってばぁ」
「薫ぃ」
「しょうがないわねぇ」
 おいて行かれた他の面々が、薫の後を追ってゆき、学校事務棟と実験棟の中間付近に達したのだが……。
「……ここでも、まだ見えないわね」
「うぇ~。あにこれぇ」
「長すぎぃ」
「凄いことになってるわねぇ」
 四人が驚くのも無理はない。その物体は、上空で南西と北東を結ぶように延びていたからである。そして、南西にも北東にも切れ目は見えない……。
 この事態を前にして、その場に立ち尽くす者、恐怖のあまり座り込む者、パニックになる者が多数出ていたが、その中にあっても楓達はまだ冷静な部類のようである。
「職員も、だいぶ混乱しているようね」
「あんで?」
「まだ放送が入っていないわよ」
「おぉ」
 そう、学校側でもあまりにも唐突な事態に、対応がとれていないようである。学校事務棟内でもかなり混乱していると想像が出来る。
「それじゃ、独自に情報収集した方が良さそうね」
「……そうね。その方が良いわね」
「うふふ」
「どうしたのかしら?」
「珍しいなと思って」
「そうかしら?」
 冷静に見えて薫もこの事態に、物体の巨大さに冷静さを欠いていたと言うことであろう。
「行きましょ」
「えぇ」
 明子と薫はそう語り合って、近い第一講義棟へ走り出していた。
「あ、待ってぇ」
 叫びながら楓と聖美が後に続いていった。
 第一抗議棟に入るや四人は階段を駆け上がり、二階にある一番近いコンパートメントを陣取ったのである。
「始めましょう」
「待って、薫は指示して頂戴」
 そう言って、薫が座ろうとするのを制止したのは明子である。
「さぁ、行くわよぉ」
 流れるような操作で、世界各国からの速報を表示していく明子であった。
「すごぉい」
「もう、こんなにアップされてる」
「殆ど個人の撮影ね」
「似てるかな?」
「おんなじに見えるよ」
「方角は分からないわね」
「そうねぇ」
 四人が各々に感想を呟きながら、明子の検索と閲覧は続いていった。
「情報が錯綜してるわねぇ」
 明子が検索しながら呟いたのも無理からぬところであろう。何しろ、個人で撮られた映像の大半は、アップの一番を目指すこと、あるいは、その事象を収めることがほとんどで、方角などは考慮されていないからである。
「明子」
「どれ?」
「中程にある、万里の長城と書いてある映像よ」
「何で、それ?」
「何でって、あんたねぇ」
「む。聖美だって実は分かってないくせに」
「え、え~とぉ」
 返答に詰まる聖美は、結局、「あははは」と笑って誤魔化すしかないようである。それを、楓が一瞥してやっぱりと言いたげな表情である。この遣り取りがいつもの二人と言えばいつもの二人である。
「これね」
 二人のやりとりの中、明子が要望された動画を再生する。確かに万里の長城から撮られた映像で、ほぼ万里の長城に沿う形で物体が延びているように見えている。言い換えれば、概ね西と東を結んでいると言うことである。
 今のところ唯一方角の分かる映像である。
「先ほど見た方角とは違うようね」
「そだった?」
「あんたは何を見てたの」
「あによぉ。聖美だってどうだか」
 楓が懐疑心を持ったことに聖美が反応するも、結局にらみ合いとなってしまうのであった。そうは言っても、薫が表で確認した方角とは明らかに違っているようである。
 動画からは方角についての確認は出来たものの、出現した物体が意味するところは分からないままである。
 明子が更に検索を続けていると……。
「臨時ニュースをお伝えします。
 本日一二:〇〇に地球連合より、非常事態が宣言されたと発表がありました。この発表は、一一:四〇頃から発生しております、上空に浮かぶ物体に対してと言うことです」
「もう、画面取り過ぎよね、っと」
 明子が、臨時ニュースの画面サイズを小さくしていると、この放送が、遅ればせながら全棟に流され始めた。
「もう一つお伝えします。地球連合は、各国に対し連合軍の出動を要請した模様です」
「えぇ~」
「日本のは軍隊だっけ?」
「どうだったかしらねぇ」
「地連軍に所属する以上、その部隊としては軍隊になるかしら」
「なるほど、奥が深い」
 楓は、出動する事態であるのかと素直に驚いた様子で、聖美は、出動という言葉からの疑問なのであろうが、明子と薫の説明で、腕を組んで納得したようである。
 雑談のような会話をしながらも検索を続け、気になる情報があれば閲覧を繰り返していった。しかし、個人の動画が殆どであるため、未だ、上空に鎮座する物体の方角が一定していない。いや、方角すら分からない映像が殆どである。
「でも、今日は天気が良くてラッキーだよね」
 楓が、今更であはるが気が付いたように呟いていた。
「あんでよ」
「だって曇ってたら見えなかったかも」
「おぉ」
 聖美が、感心しながら手を打つと、「それよ!」と突然に目を輝かせた薫が、「大声ぇ」、「か、薫?」などと悲鳴を上げる楓と聖美を余所にコンパートメントから飛び出していった。薫にしてはかなり珍しい行動である。
 数少ない窓から、空や地面を見回している薫に、背後から「危ないじゃない薫」と楓と聖美を押しのけた事への苦情を告げているようであるが、当の薫は、窓の外を眺めて何かを探す事に集中しているためなのか、その苦情は聞こえていないようである。
 徐に向きを変え、再び楓を押し退けて階段へと向かう薫によろめく楓がいた。
「おっと、危ない。……じゃない! ちょっと、薫!」
 のんきな反応を見せる楓が、すかさず後を追っていった。
 ぶつくさと文句を言いながら薫のいる場所へと到着すると、未だに、覆い被さるように鎮座している物体を見つめている薫がいた。
「風は穏やか……よね」
 薫が、誰かに問うように呟いていた。
「えっ? そ、そうだね」
 突然の言葉に、楓は少々戸惑いながら辺りを見回して答えている。
「雨も、雷もなく、気象は正常よね」
「どう見ても」
 楓は、何のことやらと、分かりかねると言った様子で、“当たり前でしょ”といった表情で相づちを打っている。
「地面も揺れていない……わよね」
「どう言うこと?」
 後から追いかけてきた聖美が楓は顔を見合わせている。
「そう、あれだけの物体が肉眼で確認できるのに、地球上には、何の影響も現れていない。おかしいと思わない?」
 誰かへの質問、と言うよりは、確信を疑問系にしているようである。
「あんでよ。影響がないのは良いことじゃん」
「そうね。……見える限りにおいて、あの物体は、地球と同じ大きさと考えるべき。隕石だって大きくなれば、衝突した際の破壊力が、すさまじいものなのは知っているわよね」
 声を出すことなく頷く二人だが、今ひとつピンと来ていないようである。
「上空にいる物体は、物理法則を無視して地球上空で止まっているように見えるわ。自転する惑星には引力が発生するのだから、落ちてこない筈がないのよ。いえそれ以前に、少なくとも同程度の大きさの惑星が接近した際には、見える前から磁場がみだれて大気も乱れる筈なのよ。それの何れも起こっていないでしょ。更に言えば、ここまでの接近を地上から無事に見る事は出来ない筈……」
「おぉ」
「あ、そっか」
 やっと気が付く楓に聖美である。
「ぶつかっていないってこと?」
「あり得ないことだけれど、そうなるのかしらね」
「でも……」
「そう、そんなことは、現在のあらゆる学問から考察しても考えられないこと」
 薫の言葉に、怯える楓と聖美であった。
「じゃぁ、いったい……」
 怯えと恐怖を地球上にまき散らし、一介の学生にはあざ笑うかのように、物体は、上空に鎮座し続けていた。

~第六章 「出現」 完
縦書きで執筆しているため、漢数字を使用しておりますことご理解ください。
下記、名称をクリックすると詳細を展開します。
ふじもと かえで
藤本 楓
西暦2108年12月25日生まれ・身長/体重:165㎝/50㎏
職業:専課学校 基底学部化学科5年生

 藤本家の長女で、両親と三人暮らし。
 性格は、子供そのものと言える性格である。しかし、それは、喜怒哀楽全てを表現するためであり、20歳として知識、知能が低い訳ではない。また、人見知りもしないため、誰とでも仲良くなれる。
 食事、食べ物の好き嫌いはないが、ケーキなどの甘い物が好物。
ほんどう かおり
本藤 薫
西暦2108年12月25日生まれ。身長/体重:167㎝/50㎏
職業:専課学校 基底学部物理科5年生

 本藤家の長女で、両親と三人暮らし。
 性格は、母親のように優しく、時には厳しく、しかし、本質としては優しさを多分に持ち合わせている。楓にとっては、無くてはならない親友になっている。
 食事、食べ物の好き嫌いはないが、ケーキなどの甘い物が好物。
いわま さとみ
岩間 聖美
西暦2108年08月13日生まれ。身長/体重:170㎝/55㎏
職業:専課学校 基底学部物理科5年生

 両親、姉と四人暮らし。
 性格は、子供っぽい所もあるが、二〇歳に何とか相応しい女性だが、楓に似た所もあり、類は友を呼ぶ、を表した友人の一人。
 嫌いな食べ物は、肉だが、当然、甘い食べ物には目がない。
やまだ あきこ
山田 明子
西暦2108年06月21日生まれ。身長/体重:172㎝/58㎏
職業:専課学校 基底学部化学科5年生

 両親、姉弟と五人暮らし。
 性格は、長女であるだけに、しっかり者で、世話好き。だが、おっとりしているわけではない。その辺は、弟を持つが故なのかも知れない。
 女性としては珍しく、見た目からは創造しがたいが、どっしりした印象を受ける。薫以外の姉役、と言える。やはり、楓の危うさを見ていられないと言ったところか。
 好き嫌いはない。その中で一番の好物は、和菓子。
もりさと としき
森里 利樹
西暦2101年09月25日生まれ・身長/体重:170.0㎝/55㎏
職業:国土省環境局

 両親と三人暮らし。
 森里家の中で、一二を争う穏やかで、優しい心を持っている。
 他人を思いやり、自然が大好きな男である。
楓の父
 父親としては、穏やかさが目に付く。がしかし、その中に厳しさもかいま見える。
 この時代の標準に入る身長で、体重もそれなりにあるため、ひょろっとした印象は薄い。
楓の母
 性格は、優しく、時には厳しく、しかし、本質としては優しさを多分に持ち合わせている。
 食事、食べ物の好き嫌いはないが、ケーキなどの甘い物が好物。
かんこうえつえりあ
関甲越エリア
 関東甲信越を短縮したエリアの名称。
 東西は千葉・神奈川から新潟、南北は群馬・栃木から長野・静岡の一部まであるエリア。
 地理的中心地を起点に同心円を描いて交通ルートが確立されている。
 住居表示は従来のままであるが、使用することも可能。
あつぎびーびー
厚木BB
 厚木とは、神奈川県の中央部にある地名。
 楓達が通う学校が含まれ、関甲越エリアにある企業地区の一つ。

 中小企業から大規模企業まで様々。
ゆりがおかえるびー
百合ヶ丘LB
 神奈川県東部、百合ヶ丘を中心にした居住地区。東京都の境も含まれる。
 楓と薫りの家が含まれ、関甲越エリアにある居住ブロックの一つ。

 全高層集合住宅は南向きに建っており、各高層集合住宅には周囲に緑地公園を持つ。
あつびーびーせんかがっこう
ATSUBB専課学校
 楓と薫が通う学校で、場所は、関甲越エリア、神奈川、厚木にある。
 基底学部として、化学、物理学、自然の学科を持つ専課学校。
 建物としては、講義棟が3つ、実験棟、学生会館、学校事務棟が各々1つがある。
ふじもとけ
藤本家
 楓と両親が住む家。
 この時代、一戸建ては存在しておらず、全てが集合住宅となっている。
 藤本家は、関甲越エリア、神奈川、向ヶ丘にある、第十住宅と呼ばれる、2階屋タイプ-21階建ての中層集合住宅、14階のW07号室に住んでいる。
ちれん
地連
 2100年に設立された国際連合に変わる組織で、地球連合の略。
 国の代表という位置付けから、地球国家への脱皮途上の組織である。
 故に、各国の上位に位置する国と言い換えてもよい。
あーく
ARCC
 100年ほど前に設立されたアジア圏の警察部門。
 Asia Range Criminal Consultant(アジア圏捜査顧問)と呼ばれる警察部門の略名。
 現在では、規模が縮小され1~5までと、特殊部隊が残るのみである。
グランド・バス
 主に、各集合住宅を起点とし、学校、ショッピング街、ビジネス街、レクレーション施設などを繋ぐ、公共機関。
 路線バス、近郊電車の置き換えられたもので、短距離、中距離の利用を目的とした移動手段。三両以上の連結タイプ。
 燃料は電気で、燃料電池を使用、駆動は独立リニアホイールモーターで、ホイールには、ゴムタイヤを履く。
 また、レールのような軌道を持たないため、20世紀に存在した、4WS(four-Wheel Steering)を全車両(4輪ではないため、All Wheelとなる)に搭載し、タイヤの舵角をコンピューター制御する。
あいろぼ
iRobo
 各家庭には、iRoboと呼ばれる、情報端末ロボットが置かれる。

 燃料は電気で、燃料電池を使用、駆動はボールリニアを使用する。
形状は、下半分の駆動部が球形で、上半分が立方体。ダルマをイメージすると分かりやすい。
 家族、住宅、支出などの管理機能。
 情報、家族の体調などの情報収集と分析から、話し相手までをこなす。
 話し相手機能に至っては、家族の性格から個性のような物が生まれている。
 家族各人が持つ、iHandの管理も行っている。
巨大な物体
 突如地球上空に出現した物体。
 地上の至る所から確認できたが、出現の理由はおろか、地球に対して何の影響も与えていない訳すらわからない。
えりあ
エリア
 道州制を拡張改定した考え方で、太平洋側から日本海側を一纏めにしている。
 道州制の場合は、どうしても東京を中心に考えがちで、周辺の過疎化を避けられない弱点があったため、新たに提唱された思想。
 大動脈を地理的中心線に置くことができ、分散にも適している。
きかがっこう
基課学校
 基礎課程を学ぶ学校を指す。
 学問の基礎はもちろんのこと、忘れがちになる人間性を育む基礎も含まれている。
 21世紀の小学校、中学校が九年一貫教育に置き換わった物と考えてよい。
せんかがっこう
専課学校
 専門課程を学ぶ学校を指す。
 21世紀の大学、専門学校が置き換わった物と考えてよい。
 尚、入学年齢は21世紀の高校と同じ。よって、高校以上と言うことになる。
いりょうしつ
医療室
 専課学校の保健室は概ねこの施設。
 専門の学問を学ぶ上で、怪我、火傷等々学部によって緊急で治療が必要になることが希にある。
 そのため、それなりの設備が整えられていることから、保健室ではなく医療室となった。
びーびー
BB
 ”BB”は、Business Blockの略語で、企業を集中させたブロックになる。
 理由は、昔からあった共同開発を増やす狙い、若者を早い段階で社会に参加させる狙い、などにより、遠くより近くが良いであろうと言うことで、この配置を採っている。
 結果、集まった企業は、概ね専課学校の学部が中心となった。
しーびー
CB
 "CB"とは"Commerce Block"の略で、商業ブロックに当たる。
 この商業ブロックには、大きく二つの役割がある。
 一つ目は、大商業施設、または、ブロック全体が大型のショッピング・センターとしての役割。
 その中には、移動拠点としての宿泊施設も併設されている。
 二つ目は、交通ルートを纏めるターミナルとしての役割。
 交通ルートには、大きく三つ。
 エリア中心地とを結ぶルート。
 近隣の企業ブロック、住宅ブロックとを結ぶルート。
 その三つを纏めたターミナルの役割を担っている。
えるびー
LB
 "LB"とは"Life Block"の略で、居住ブロックに当たる。
 マンション、アパートの減少により、住宅地が大分変貌している。
 空き住宅地と一戸建て地区をまとめ、2階屋、3階屋が、高層の集合住宅に置き換わっている。
 日本では窮屈な住宅空間であったが、空き住宅地の恩恵に預かり、ゆとりある住宅空間を実現している。
 居住エリアには、必ず緑地公園が設けられ、心地よい生活を営めるようになっている。
だい?じゅうたく(こうそうしゅうごうじゅうたく)
第?住宅(高層集合住宅)
 高層集合住宅のことをさすが、マンション、アパートとは趣が少々違っている。
 従来の一戸建てを改装に積み重ねた高層住宅となる。
 一階建てから三階建てまであるが、二世帯住宅はない。
 地名+施工番号+住宅で呼ばれることが多い。



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