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Soly japanese only.
書き物の部屋のイメージ オリジナルと二次創作を揃えております。拙い文章ですがよろしく(^_^)!
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「あ~。もう」
「聖美? どうしたの?」
「何でも、ない……」
 心なしか元気のない聖美の返事は、尻すぼみになってしまったようである。それでも何やら思いがあるのであろう、口喧嘩が絶えなくとも友達である楓を、ちらりと見る聖美である。
――どっこにも、行かないんだよね?
 いつもの四人は、学生会館は元より講義棟の談話室も混雑していたために仕方なく、屋外にあって比較的日差しが弱く、暑さをしのげる木立へとやってきていた。とは言え、既に千客万来である。空いている場所を探して木立の中をゆったりと歩いていた。
「楓。痛みはないのかしら?」
「ん? ないよ」
 唐突に痛みについて聞かれた楓であるが、ほぼ即座に返答して見せた。
 何故この質問がなされているかと言えば、今日は、楓が痛みを拒絶(端からは強くいやであると認識されている)してから三日程が経っていたからである。
「楓さぁ」
「あに?」
「本当に痛くないの?」
「どういう意味よ」
「あ、え~と。ついこの間までは、いつもすんごく痛そうだったから」
「おぉ。そうだね。痛みがない訳じゃないんだけどね。耐えられるくらいには、なったかな?」
 そう語る楓の表情は、以前より明るく話せるようになったようである。それは、何処かが痛む回数が確実に減っていたからである。しかし、あくまでも意識を失う程の痛みだけと言ったところのようである。
「!」
――来たぁ。……けど、これくらいなら、大丈夫。
 一瞬だが強ばった表情をするも、なるべく気付かれないようにいつもの表情に戻して、小さな痛みは何とか耐えて乗り切っているようである。
 言動が子供じみている楓ではあっても、そうそうみんなに迷惑を掛けたくないと言う思いはあるのであろう。そうは言っても、耐え続けることに問題がないと言い切れないのもまた事実である。
「楓?」
「あ、あに?」
「痛みが来た?」
「だ、大丈夫。ちょっと、考え事してたから」
「考え事ねぇ」
「あによぉ。楓ちゃんが考え事しちゃいけないって言うの?」
「いやいや。らしくないんだよ~ん」
「このぉ」
 小さな痛みに耐えながら追い回し、いつもと変わらない素振りを見せようとする楓……。だが、痛みに気をとられるためなのであろう、それ程手間も掛からない筈が、なかなか聖美を捕まえられない様子である。
 そんな二人のじゃれ合いを見詰めている人物がいた。薫と明子である。
「薫?」
「何かしら?」
「ここ数日、余り止めに入らないわね」
「そうかしら?」
「そうよ。どういう風の吹き回しかしらね」
「そうねぇ。これと言って、何かある訳ではないのだけど……。明子には何か問題があるのかしら?」
「う~ん。問題ではないけれど……。そうねぇ……。強いて言えば、薫と楓の親子の会話が聞けないのが、ちょっとつまらないと言ったところね」
「明子。貴方のその癖、早く直した方が良いわよ」
「そうかもしれないけどね。今のところは、楓と聖美だけにしてるから」
「そう。でも、二人に嫌われない程度にしておきなさいよ」
「分かってるわよ」
――明子……。ごめんなさいね。……楓。あの言葉は、本当なの?
 楓が“もう、いやなの。痛みに、耐えるのが……”と呟いた言葉……。以来、薫は楓と聖美の口喧嘩を止め切れていない。希ではあったが、二人の口喧嘩を止めるタイミング逸してエスカレートしそうになってしまい、明子に促されて少々傷を負いながら止めたことさえあった。
――楓。貴方は、どうなっているのかしら? ……偶然の一致と片付けて良いの? それとも、犬と楓の間に何かあるのかしら?
 答えの出ない問答を続けるそんな薫の思考を余所に……。
「……そう言えば、最近、木々の萌が遅くなったわよねぇ」
「そうそう。そこいら中、枯れ葉を付けた木ばっかり。楓も見てるよね」
「……そうかな?」
「あによぉ、気のない返事してぇ。あ~。また、楓は考え事でもしてたって言うか」
「……え、あ~。う~」
 触れて欲しくない話題なのであろう、目が泳いではぐらかそうとする楓がいた。犬の件が脳裏に焼き付いているのであろう楓にとって、似たような事柄には関わりたくないのかもしれない。
「うふふ。薫はどう考えてるのかしらね」
「……そうね。今のところ、これと言った考えはないわね」
「あら珍しい」
「そうかしら?」
「そうよ」
「痛っ!」
「か、楓ぇ~」
 さっきの元気が嘘のように聖美の表情が一転、今にも泣き出しそうな表情になっていた。
 このところ、楓が痛がる度におろおろとし続けており、以前よりも明らかに心配する表情が出やすくなっているようである。
 楓の痛みに四人が立ち止まった先の方から、悲鳴と驚きの声が聞こえてくる。
「何かあったみたいね」
「そのようね。でも、楓が……」
「そうよねぇ」
――さっきより、きつい……。けど、耐えられる……。
 楓は、痛みに耐え上体を起こそうとする。
「楓。無理しないの」
「無理……じゃないよ。大丈夫……だから」
「立てるのね?」
「うん」
 その間も、周囲にいた生徒達が声のした方へと足早に向かっている。向かっているのは、講義棟とは反対側。つまりは学校の敷地の外れに当たる場所である。遠目からでも、生徒達が群がっているその場所が、開けた場所を思わせるように明るくなっているのが見て取れる。
 聖美と薫に支えられ、楓もその場所へと向かう。
――痛みなんか……。痛みなんかに……負けない。痛みなんか……きらいなんだから。
 かなり出遅れた楓達ではあったが、その場所は……。
「な、何?」
「何が起こった?」
「葉が、ないじゃないの……」
「一斉に枯れて落葉したとでも言うのかしら?」
 木の傍に生徒は既にいなかったが、木々の周辺には落ち葉がこんもりとしていた。その光景を見る限り、薫の言葉が一番的を射ているのかもしれない。
「うわぁ」
「何だこれ……」
「……ねぇ、何が起こったの?」
 楓達だけに留まらず、その光景を目にした生徒全員が、感嘆の声を漏らしていた。
 その惨状の中にいる楓は……。
「す、すごい……」
 痛みを忘れて見とれていた。これが自然現象という物なのか、いや、異常現象なのだろうと。自宅からも枯れを目撃したことはあったが、それは、あくまでも葉が色づいたところまでであり、落葉するところまでは見たことはなかった。それは、ここに集まっている全員にも当てはまることであろう。
「楓?」
「……」
 薫の呼び掛けに、見入っているためか答えない楓。その表情を見た所為なのか、凝視したまま何も語ろうとはしない薫がそこにいた。
「薫? 楓がどうかした?」
「……楓! 痛みは、まだあるのかしら?」
「……あっ。忘れてたけど、痛くないや」
 聖美に声を掛けられ我に返った薫が、やや大きな声で楓に話しかける。異常現象に見入っていた楓も、我に返りふと自身の状態に気が付いたようである。
「そう。それなら良いのだけれど……」
「でもさぁ薫ぃ。これってすごすぎるよ。異常現象、って言うんだよね」
「そ、そうなるわね」
 楓のことを気にしていた薫は、咄嗟の質問に何とか返答するが、その思考は……。
――痛みがない? てっきり、萌が終わると痛みが消えるものと思っていたのだけれど。私の仮説が誤っていたというの? あるいは、楓の中で何かが変わったのかしら? ……分からないわね。
 薫がこの現象を解析しているとはつゆ知らず、楓は真剣にその現象を見続けていた。
 その一方で、集まっていた生徒達は、口々に「始まらなかったね」や「はずれか」などと呟いて三々五々去り始めていた。何故こう言う感想に至ったかと言えば、ニュースでは、急速な枯れの後、萌が始まると報じられていたためで、その萌が一向に始まらないからである。
 そんな生徒達がいる中で、その場に止まり続けていた四人であるが、聖美、楓と薫の会話に入らなかった明子は、何かを考えている様子である。
「薫。……間違っていたら訂正してね。まさかとは思うのだけど、この枯れが、楓の痛みに繋がっているなんて考えていないわよね」
「な、何てこと言うかなぁ、明子はぁ。そんな筈ないじゃん。ねぇ、薫」
 その問いに即答しない薫。それを見ていた聖美の表情が困惑の色に染まっていく。方や明子の表情は、次第に確信に満ちたものへと変化していったのである。
「……明確な理由はないわ。けれども、気にはなっているの」
 その回答に、安堵する聖美がいる一方で、明子は……。
「……そう。気になっているのね」
「へ? それって……。ちょ、ちょっと待ってよぉ。楓の痛みが、どうして枯れと萌えに繋がるって言うの。それってあり得ないよぉ」
「それでも、薫が引っかかっているのよ。全くの無関係とは思えない」
「あ、あのさぁ、明子? 薫がこの世の全てを知っている訳じゃぁあるまいし。偶然……。偶然だよ」
「そうかもしれないわね。でも、何か気になるのよ。それは確かだわ」
「う~、薫が頭良いのは分かってるけどさぁ。いくら何でも明子のは考えすぎだと思う、って言うか、やっぱあり得ないよ」
「それじゃぁ、今の現象は偶然なの?」
「そ、それは……。あたしは、薫ほどじゃないから理屈まではわかんないけど、明子は、偶然じゃないと言い切れる?」
「……確かに」
 答えの見えない問答を続ける三人がそこにいた。それは押し問答になり結論は見いだせなくなる。その押し問答を聞いているのかいないのか、楓は……。
「……痛みが、減ったんだね……。うふ」



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「む~。よく分かんなくなってきた……。楓はどう……、って、楓! 聞いてる?」
「……あに?」
「あ~! あんたは何をしてんの」
「う~ん、話は聞いてるよ。でもね、痛みが減ったんだよ。嬉しくて、嬉しくて」
「あぁ。だめだこりゃ」
「はいはい。話も途切れた訳だから、もう良いわね。これくらいにしておきましょう」
「……そうね。枯れと萌えについての報道も、原因までは流れてないしね。どっちみち、結論なんて畑違いの学生に出せる筈ないんだし」
「そ、それは、そうかもしんないけどさぁ……」
 どうやら聖美は納得がいかない様子であるが、薫が話を切り上げたことと明子もある程度納得したようで、この話はうやむやの内に終わらせざる終えないようである。医者ですら、楓に起きている痛みの原因が見つけられていないのである。明子の言うように、畑違いの学生が結びつけることは疎か、そもそも取っ掛かりのない事象の議論は、可能性や仮説を積み重ねるだけで想像の域を超えようがなかった。
 木立の中で発生した枯れを、いや落葉を目撃した楓達もその場を後にし、少々気味悪がった生徒達が付近からも離れたおかげで空いた場所に陣取った楓達である。
「それよか、薫と聖美は、午後はどうなってるの?」
「あによ、突然」
「うっ……。だってぇ、帰りにどっか寄りたいんだもん」
「あのねぇ。あたしにだってそれなりに用事って物が……」
「え? そうなの?」
「あら珍しい。聖美に用事があるなんて」
「ちょっと明子。それはないんじゃない、あたしにだってねぇ、いろいろと……」
「ないのね」
「えっと、あのね」
「ないのでしょ?」
「う~。今日は、……用事はない……」
「んじゃ、後は講義か実験かだね」
「今日は、講義よ。化学の方はどうなのかしら?」
「うん。え~と、どうだったけか?」
「もう。今日は講義だけでしょ、楓。本当に、ちゃんと覚えておきなさいよ」
「えへへへ」
「……じニュースをお伝えします」
「わぁ、びっくりした」
「あんで、音量あげるかなぁ」
「二人供、黙りなさい」
「……」
「臨時ニュースが入りましたので、ニュースをお伝えします。
 つい先程になりますが、関甲越各地の公道で、野鳥のグランド・バスへの衝突が相次いで発生しました。これにより、グランド・バスの運行に支障が出始めております」
 音量を抑えて流していたニュースの音量が突然に上がったのである。大方、学校事務棟で先行情報を受けての措置であろう。とは言え、臨時ニュースであると言うだけではなく通常より大きな音量である。木立側の壁面に限らず各棟内の談話室でも流されている筈で、楓や聖美だけではなくおののく者も多数いたことであろう。
「引き続き、中距離の支障ルートです。
 関甲越ルートSの丹沢(たんざわ)・湯河原(ゆがわら)。関甲越ルートSSEの相模湖(さがみこ)・鵜野森(うのもり)。
 引き続き、中距離の支障ルートです……」
 その場にいた全ての者がそのニュースに耳を欹てている。一方でそのニュースを聞いた楓は涙ぐんでいた。
「うぅ。両側が駄目なんだ。帰れないよぉ」
「楓ぇ。ちゃんと聞いてる? ルート状で運行支障があるだけだって」
「え~。だってぇ」
「今のところはそうのようね」
「ちょ、ちょっとぉ、薫までぇ。そんなこと言っちゃ駄目だってばぁ」
「あら、ごめんなさい」
「そうねぇ、中距離だけだから何とも言えないわね」
「……短距離路線は次の通りです。
 相模湖(さがみこ)・宮ヶ瀬(みやがせ)路線、宮ヶ瀬(みやがせ)・秦野(はだの)路線。相模湖(さがみこ)・八王子(はちおうじ)路線、宮ヶ瀬(みやがせ)・鵜野森(うのもり)路線、秦野(はだの)・綾瀬(あやせ)路線。上野原(うえのはら)・相模湖(さがみこ)路線、丹沢(たんざわ)・宮ヶ瀬(みやがせ)路線、足柄・秦野(はだの)路線……。」
「あぁ、ほらぁ」
「う~」
「あらあら。大丈夫かしらねぇ」
「現時点で、帰るのは困難かもしれないわね」
「そんなぁ」
「うっそぉ」
「あらま。二人とも泣きべそかいて、まだ帰れない訳じゃないわよ」
「そ、そう?」
「それも、時間の問題かもしれないわね」
「薫ってば、現実的すぎぃ」
「あら、ごめんなさい」
「引き続き、ニュースをお伝えします。
 野鳥による運行支障はお伝えした通りですが、別に、公道上を走り回る犬や猫などによるグランド・バス並びに一般公道の支障についてです。三〇分程前の映像ですが、ご覧のように、犬や猫が原因と思われる多重追突事故、あるいは公道壁面への事故も発生しております。ドライバーの方は十分に注意をお願いします」
 キャスターがニュースを読むこと中断し、音声を切って傍にある情報パネルを操作している様子が映し出されている。
 情報が氾濫し、人が埋もれてしまいそうな時代であっても、この辺りは今も昔も変わりはない。いや、二〇世紀以上に情報の更新が早く、喋っている傍から古くなることもしばしばである。故に、キャスターの傍らには、現場からの情報をいち早く、整理された形で届くようになっている。
「今はいりました情報に寄りますと、ARCC1、及び2が出動したとのことです。
 繰り返します。犬や猫の排除に、ARCC1、2の出動要請が出され、受理されて出動したとの情報が入りました。既に事故処理に当たっているARCCも、現場で対応しているとの情報が入っております」
「とうとう、出動したのね」
「いや、とうとうって程じゃないんじゃ」
「アークって……」
「そうよ、Asia Range Criminal Consultantと言って、日本語に訳すと“アジア圏捜査顧問”と言うことになるわね。所謂公共機関の一つで、二〇世紀風に言えばお巡りさんになるかしらね。通称“ARCC”と呼ばれているわね」
「うん、楓ちゃんは知ってるよ」
「誰だって……」
「今現在は、地球連合に所属する機関の一つで、アジア各国を主要管轄に置いた警察機関よ」
「いや、薫。完全に……」
「起源は……。そう、一〇〇年程前に遡るわね、アジア圏を統括的に見つめる機関として設立されたAPECSの一部門、警察組織を統合した形であり、対象もアジア圏のみに限定されていたそうよ」
「薫!」
「何かしら?」
「あ、あのね。言いにくいんだけど」
「何かしら?」
「完全に解説なんだけど。分かってる?」
「そうだったかしら、楓と聖美が分かっていないのではないかと、心配して説明したのだけれど」
「いや、あたしは……」
「うん。流石は薫! 楓ちゃんはよく分かったよ」
「まぁ、もう一つ、説明しなかったことは見逃そう」
「聖美。何か言ったかしら?」
 聖美が、首がもげてしまうのではと言う程に、横に振ったのは言うまでもない。
 楓達がARCCで盛り上がりを見せている頃、周囲ではかなりざわついており、ほんの少しだけ離れた場所では……。
「かわいそう……」
「……しょうがないだろ、交通事故になってるんだからさぁ」
「でも、それは動物虐待よ」
「おい。人間への攻撃じゃないのか?」
「何を言ってるの……」
 そこかしこで、口論が起こり始めていた。酷い、当然、等々と口論が激しくされているところも出始める。それでも、講義棟壁面には犬や猫を排除する姿の他、交通事故の惨状を伝える映像などがひっきりなしに映し出されている。
 小さな激論が起きているかと思えば……。
「何だと? もういっぺん言ってみろ!」
「あぁ、何度でも言ってやるよ!……」
「……あなたは何様のつもり?」
「君は、何故このような事が一斉に起こっているのか分かるのか?」
「犬や猫がかわいそうだと言っているのよ」
「全く、これだから……」
 一触即発の激論にまで及んでいるところも出ている一方、男子生徒同士では、既に掴み合いにまで発展しているところも出ていた。中には、周囲の者達が止めに入るも、あおりを食らって殴り合いになっているところさえ出始めており混乱は広がりつつあった。
 一方、映像に見入っていた楓達は……。
――くっ! 来た!
 虚を突かれたかのような楓は、左の脹ら脛を押さえながら蹲る。
――わ、忘れてた、まだ……痛みは、来るんだった……。
「……楓! ここに座りなさい」
 いち早く気が付いた薫は、自分の携帯座布団を近くの木の根本に広げ、楓を抱えて座らせる。
「……ん」
「体を私に預けなさい」
 そう言うや、薫が携帯座布団を操作すると、背もたれが高さ方向に広がり空気で膨らんでいった。それを待って、楓は薫から携帯座布団に身を委ねていった。
 携帯座布団には座ったものの、左の脹ら脛を押さえてるため上体が起きがちとなりながらも耐えているようである。
「大丈夫かしら?」
 薫はそう言いながら、楓から携帯座布団を受け取って傍らに広げて座る。その表情は、母親がするそれでありいつもと何ら変わる所はなかった。
 いつもなら即答する筈の楓は、何も言わず何故か俯いたままであった。痛みがこの混乱に繋がっていると考えているからなのか、あるいは痛みに必死に耐えているからなのであろうか。そしてもう一つ考えられることは、こんな時の薫の表情が分かっているから心配させまいと表情を見せたくないからなのか。
「……うわっ、酷いことに……。か、楓?」
 傍らにいた筈の楓に声を掛けようとし、いないことに気が付く聖美である。
「か、楓ぇ……。大丈夫?」
「う、うん。だ、大丈夫。痛みは……だいぶ引いたよ。でも、どったの聖美? その表情」
「え、あ、いや。何でもない……」
「うふふ」
「……帰りは、問題になりそうね」
 やっかいそうな表情で、薫の隣に携帯座布団を広げて座る明子が呟いた。
「そう言えば、薫は論争に入んないの?」
「何故かしら?」
「え? だって、理論は得意だし、理屈だって分かってるし」
「そうね。だけれど、これは結論が必要な事かしら?」
「う~ん。分かんないよ」
「そうね。それが正解かもしれないわね」
「ねぇ、それってどういう意味?」
「あら、そのままの意味よ」
「む~」
「難しいご託はおいておくとしても、結論なんて出ないでしょ」
「そう、なの?」
「そうね」
 聖美が投げかけた些細な疑問であったが、薫の告げた言葉によって小難しい話となってしまい、聖美自身が腕を組んで唸ってしまうこととなった訳である。
「……それはそれとして、帰りは本当に問題よね」
「そうね。運行していたとして、出くわさないとは限らないのですものね」
「え~。犬とか猫とか引くバスには乗りたくない」
「いつもの行いが良ければ、出くわさないのではないかしら?」
「それはそうねぇ。でも、楓と聖美は……」
「……楓ちゃんは、大丈夫だよ」
「あたしは大丈夫に決まってるじゃない」
 話題が移った頃には、楓の痛みも大分落ち着いたようで、明子の問いかけにもほぼ同時に答えた二人は見つめ合って、いや睨み合える程に納まったようである。
「楓が大丈夫? うそうそ」
「あ、ひっど~い。聖美の方こそ嘘っぽい」
「あんですって。あたしを誰だと思ってるの」
「う~んと、聖美」
「そうでしょ」
「だから、怪しい」
「ん? もういっぺん言ってみなさいよ」
 いつ果てるともなく続く口喧嘩は、一連の騒動の中にあって、なんとも微笑ましい出来事である。



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 眼下に広がる緑と茶のコントラスト。だが、剥き出しになった大地の茶色ではない。その全ての色は、緑地公園に広がる木々が織りなしているものである。その景色を、高層住宅の一室から眺めている人物がいた。
「ふぅ~。ここの木々達もだいぶ枯れてるよねぇ」
 楓である。
――痛みが減ったのは良いんだけど……。木々達の枯れが増えてるよねぇ。そんでもって、犬や猫や鳥たちもおかしくなってるしぃ。
「はぁ~。犬達だけじゃないんだろうな。もっと多くの動物たちも、かな……」
「あっ……」
 楓が眺めている間も、緑が減り茶が増え続けていた。
 木々の急速な枯れは、その範囲を確実に広げている。しかし、人類はその原因すら掴めていないのだ、その勢いを止めることなど当然出来ない相談であった。
「む~。やっぱ、楓ちゃんの痛み、なのかな……」
 そう考えざる終えない状況ではあるが、楓としてはそうであって欲しくはない。しかし、そうではないかと考えている人物がいた。薫である。
――薫はそう思ってるのかなぁ、やっぱ。でも……。
 それについて何か言って欲しいと思いつつも、何も言って欲しくないとも思っているのも楓であり、微妙な精神状態に追い込まれつつある。
「……イタッ!」
――忘れた頃に、って。ちょっと、おなかが痛い。う~。変な物は食べてない……筈、だからぁ。
 不意に襲った痛みに、楓は腹部を押さえて蹲ってしまい、しばし耐えることとなった。
「ふぅ。全く、何でこうも痛くなるかなぁ。あっ!」
――……む~。やっぱ、分かんないか。
 不意に思い立って、窓の外、眼下に広がる緑地公園を見入ったものの高所からである、そうおいそれと違いなど見つかる筈もなかった。
「はぁ~」
――って、溜め息ばっかだ。暇だぁ。痛みが減ったら、何でか時間が経つのが遅い……。
「うにゃぁ~」
 勢いよくベッドに仰向けに倒れ込む楓は、何かに気をとられることが少なくなり、時間が出来たようである。しかし、もう何年もそんな時間がなかった訳で、することが何もなかったことに、今更ながら気付かされたようである。
――そうは言ってもなぁ……。痛みが完全になくなった訳じゃないしぃ。
 それ故に、何かを集中してやろうとも思えず、結果として暇をもてあますことになっている訳である。
――痛みが減ったことはうれしいんだけどね。でも……。
 嬉しいのだが、何故か手放しでは喜べない。それは、医者もさじを投げかけている、原因不明とされたその痛みからは完全に解放されていないという事実がある。それに、この前に出会った飼い犬の件とその顛末のこともあり、枯れと萌が痛みに関係しているのではないかという思いが涌いているからであろう。
 そして、もう一つ……。
――異常行動で排除された犬や猫って、どうなるんだろうか。ペット達だけじゃない、野良であっても責任はないと思うんだけど……。
「ま、鳩やカラスは野良って言わないか……。それに、木々達だって、いきなり枯れたくはないんだろうな……」
 楓の愛おしむ心が、これらのことによって苛まれ続けているようである。
 ペットや木々だけに留まらず、人に対しても無闇に悪いと決めつけない考え方を持っている楓である。“きっと何か理由があるんだよ”楓が、貴人に突っかかられた時に言いかけた言葉である。人が行動するにはそれなりの理由がある。楓は、理屈ではなくそう思っているようである。そうは言っても、その理由を考えているかと言えば、そうとは言えないところがある。それが楓なのかもしれない。
「ARCC……か。お巡りさん達だって、そんな事したくないだろうな、きっと……」
――う~。
「だぁ~! 今日は臨時休校だって言うのに……。暇だ……」
 鬱積した諸々を吐き出すかのように声を上げてしまう楓であった。
 ペットの異常行動が、昨日辺りから増加傾向を示したことで、グランド・バスに一時的な麻痺が増加した。その結果、高層住宅に近い場所にある基課学校では、生徒の登下校の安全のため休校となり、専課学校では、通学中の事故に巻き込まれるおそれが高いことから休校となった。
「はぁ~」
 ベッドの上に膝を抱えて座り込みながら……。
――こんな思いするのも、やだな……。
「ニュース」
「どのジャンルのニュースをご覧になりますか?」
 各家庭にいるiRoboに備わる自動返答機能の機械的と言える言葉が返ってきた。そのiRoboを核とした住宅システムが、楓の指示を抽象的と判断したために再度指示を仰いだが……。
「ニュース」
「未選択と判断し、ニュース全般をダイジェストにして流します」
 システムは、家庭毎に抽象的であると判断した場合の行動を設定している。藤本家では、抽象的な指示を二回出した場合、初期設定である“ニュース全般のダイジェスト”を選択したと認識させていると言うことである。
 楓が膝を抱え込んでいるベッド、その向かいの壁に貼られたペーパー液晶にニュースが映し出される。
「最新の交通情報をお伝えします。
 グランド・バス公道では、依然LB、BB間での本数を半減せざる終えない状況が続いております。LB、CB間では、ほぼ運行を取り止めております。また、一般公道では、閉鎖区間が変わりやすくなっておりますので、目的地に行くことが困難であることも予想されます。事前にナビを行うことをおすすめします」
――あぁ。今日は駄目だね。CBに行けないんじゃ、お家でごろごろしてるしかないじゃん。
「動物の異常行動の最新情報です。
 交通情報にもありました通り、未だ異常行動が続いており、影響はまだ続きそうです。専門家によりますと、この異常行動の原因は分かっていないとのことです」
――うぅ~。やだなぁ、別のに……。
「木々の枯れの最新情報です」
「うっ」
 楓が指示を出す前に、もう一つの出来事である枯れと萌えのニュースが流れる。
 見たくない、聞きたくない、考えたくない。その思いから動きが止まる楓をよそに、ニュースは先を続ける。
「木々の枯れと萌えは、現在、枯れがかなり先行しており日本各所に広がっています。ですが、萌えについては、殆ど発生していない状況で、日本中の木々が枯れるのは時間の問題であるとの指摘もあります」
――やだ……。やだ……。聞きたくない!
 楓は、目を閉じ、耳を塞いでニュースを遮断しようとする。それでも耳を塞ぐ手の隙間から、動物の異常行動、木々の枯れを扱うキャスターの声が微かに聞こえてくる。
 楓は、罪の意識に苛まれていた。この全ての現象は自分のせいなのか。痛みは何かの罰ではないのか。痛みを嫌がったからなのかもしれない。いろいろな考えが思い浮かんでは消え、それは、楓の心を圧していく……。
――……何でよ。何で、こんなに言われなきゃいけないのぉ。
 ただの情報である筈が、いつの間にか攻められているように聞こえ、目を閉じ続け、耳を塞ぎ続ける楓は心が折れそうにもなっていた。
――……いや……だ。……もう、いやぁ!
「……テレビオフ! うぅ」
 紡ぎ出せた言葉が怒鳴り声となってしまった楓は、嗚咽を漏らし膝を抱えてベッドに座ったままである。
「楓!」
 壊れるのではないかと言うほどに、開け放たれた楓の部屋のドア。
「……」
 どうやら、楓のテレビを消す声は、階下にも届く程に大きかったようである。
「楓?」
「……。お母さん……。うぅぅ」
 顔を上げる楓の目の前には、心配な顔をした母親がいた。
「楓……」
 楓の傍らに腰を下ろし楓を抱きしめる母は、背中を撫でて落ち着かせようとしている。楓の嗚咽は、次第に小さくなっていった。
 しばらくすると、背中を撫でていた母の手は頭に移っていった。それはまるで、幼子をあやすような仕草である。
「……あ、あのね」
 落ち着きを取り戻したのか、楓が何かを語ろうとする。
「……良いわよ。何も言わなくて……」
「……うん」
 やはり、親にとっては、いくつになろうとも子供は子供なのであろう。泣いていた理由など、親にとっては些細なことなのかもしれない。
 語ることによって気分が軽くなることもあるが、親は子供の全てを受け入れることが出来る唯一の存在なのである。正しい正しくない、と言う論理を超えているのである。
 何も語らず、何も聞かず。楓は、ただ母親に抱かれている。それだけで気持ちが安らいでいくようであった。
 楓の葛藤の一方で、木々の急速な枯れとそれに伴っていた萌えの衰え。更に、動物たちの異常な行動は、日本中の至る所で起こり蔓延していた。
 それは、日本だけで起こっていることではなかった……。



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――む~。やっぱ、関係あんのかなぁ。……そうだったら、やだな……。でも……。木や動物たちは、かわいそうだよね。
 仏頂面をした楓は、木々の枯れと萌えと動物達の異常行動、そして痛み……。それら全てが関係しているように感じ始めていた。そうではあっても痛みはいやなものである。動物たちにしても痛みは好まないであろうから……。
 仏頂面した楓を横目にしている薫がそこにいた。
「……」
 何を言うべきか悩んでいるのか、あるいは楓自信に解決させたいと願っているのか。今のところ、この件に関して、楓には何も言わずいつも通りに接している。
「お客様にお知らせします。現在、当バスは通常ルートから離れておりますため、到着時刻に遅れが予想されます。この先も、迂回などのルート変更が頻繁に発生することが予想されますこと、ご承知下さいますようお願いします」
 未だ治まる気配を見せていない動物の異常行動だけではなく、木々もまた、萌えが殆どなく枯れていく一方である。
 二人は、動物の異常行動が減ったために運行を再開したグランド・バスに乗車していた。だが、未だ起こっている異常行動の合間を縫うようにしての運行であった。
――……楓の痛み、枯れと萌え、動物の異常行動……。楓の身に何が起こっているの? やはり、全てが繋がっているとでも言うのかしら……分からない……。
 傍らにいるからこその悩みと言って良いのであろう、楓の身に起こっていること、この世界で起こっていること、その全てが絡み合っているようにも見える。
――そもそも楓の痛みは、どこから来るのかしら……。医者をしても分からないモノ、人類には解明できないのかもしれないわね。そうだとすると……。
 果たして額面通り受け取って良いのか……。薫の悩みは果てがなかった。
 楓がニュースを耳に目にしただけで嫌悪感に苛まれたあの日以来、この一週間だけでも、四人での会話中にぼうっとすることが増えていた。それをネタに聖美と口喧嘩することもあったのだが、それもつかの間でまた考え込んでしまっており口喧嘩を薫に止められることが減っていた。それだけではなく、考え込んでいるところを聖美に引き戻されることも増え、そんな時は、ここ最近で頻繁に目にするようになった、聖美が心配している顔を見ることとなっていた。
 薫にしても似たようなもので、貴人の突っかかりにいつも以上に嫌悪しているのか、感情の高ぶりであるのか不明ではあるものの、激しい口調となっているのが傍目でも分かる程である。確かに、薫が貴人を圧倒しているのを見るのは気分が良いところではあるのだが、行き過ぎているところを見るのは心苦しいところである。傍でその光景を見ている明子と聖美は気が気ではないのである。止めるに止められず狼狽するしかない明子がおり、聖美は、楓が遠くに行ってしまうかのような表情を見せて何も出来ないでいた。
 何とも微妙な状態に置かれた四人である。お互いに気遣っているのだが、どうやら空回りを始めている様相である。その中心にいるのは楓と薫である。
「楓?」
「……」
「楓、どこに行ってるの? 学校に着いたわよ」
 二人を乗せたグランド・バスは、かなりの遅れではあったが学校に到着することが出来たようである。
「えっ? あ、もう?」
「行くわよ」
「うん」
「おはようございます」
 学校事務棟の地下に設けられた校門兼ゲートへ向かった二人は、警備員に挨拶しながらゲートに各々のiHandを翳して通過していく。
 学校事務棟の地下から、学生会館の地下へと入る所で……。
「んと、今日はどこにいるかな?」
「楓の方にメッセージはないの?」
「おぉ。そうだった。んと……。あ、あったあった。明子からだ。何々……。学生会館地下の談話室だって」
「少しはお喋りできるわね」
「うん」
 いつも通りの会話に聞こえているようでいて、どことなく余所余所しさを感じさせる会話をしつつ、明子の待つ学生会館地下の談話室へと向かった。
「聖美はまだなんだ」
「まだみたいね」
「どうせ寝坊でもしたんだよ」
「そうかしら? ルート変更で遅れているだけなのかもしれないわよ」
「そうかなぁ。ようし、聞き出してやるぞぉ」
「いつもより元気ね」
「そうかしら……」
 薫には、そのはしゃぐ姿が何故か痛々しく映っていた。楓とて気が付いているであろう、諸々のことを表に出さないよう、振る舞っているとしか思えなかったからである。
 そんなはしゃぐ楓をよそに、時刻は一時限目になろうとしていた。
「うわぁ~。ま、間に合った。はぁはぁ」
「おっ。聖美だぁ」
「そろそろ行くわよ」
「えっ? す、少し休ませて」
「飲み物くらい飲む時間はあるかしらね」
「うっ。薫の意地悪」
「それじゃぁ、私と楓は、実験棟だから先に行くわね」
「どうぞ」
「また後でねぇ」
 飲み物を買っている聖美とそれを待つ薫を残して、明子と楓は実験棟へと向かった。
 数分後。
「今日は何の実験だっけ?」
「はぁ。楓、あなたには記憶というものがないの?」
「えへへ」
 楓と明子は、お喋りしながら実験棟の二階に差し掛かっていた。と、突然に耳をつんざく轟音が響き渡る。
「きゃぁ」
「な、何? おぉ~」
 激しい振動で、二人は階段の踊り場でよろめき倒れる。そこへ、更に追い打ちを掛けるかのように、突風に近い風が押し寄せる。
「あたたた。げほげほ。明子、大丈夫?」
「えぇ。大丈夫。それにしても、すごい煙ね」
「地震じゃぁないよね?」
「爆発音のようだったから、違うでしょうね」
 前後して、けたたましくサイレンが鳴り響き出した。
 一階からこの二階までは、学生の講義実習に使用される部屋=ラボが主であるが、常に使用されている訳ではないため普段は人気がほぼない。しかし、もうすぐ一時限目が始まるため、楓達と同じで受講する生徒がいる筈である。
「明子、近くまで行ってみよ」
「えっ? でも危ないわよ」
「でも、外に出てる怪我人くらい、こっちに運んでこなきゃ」
「それはそうね。でも危ないと分かったら避難するわよ」
「分かってるよ」
 幸い二人とも打ち所が良かったのか、怪我はしていないようである。
 既に排煙装置が作動しているため、それ程延焼した煙が垂れ込めていない二階であるとは言え、煙は出ているのである、低い体制で移動せざる終えなかった。
「以前に爆発があったときは、煙が廊下には出てなかった気がするわね」
「そうだっけ?」
「だとすると……」
 明子の勘は当たっていた。鉄扉と同じ性能を持たせながらも、女子生徒もいるために軽く動かせるように作られた扉が開いていた。
 爆発があったと思しきラボから少々離れた場所には、既に十人程の学生が集まっていた。
「す、すごい事よ。あの扉が凹んでいるなんて」
「そうだね」
 集まっている生徒の隙間から見えた扉の惨状に、明子も楓も驚嘆した。
「だ、誰もいない……」
「まだ、中にいるって事かよ」
 楓の呟きに答えた訳ではないのであろうが、前にいた男子生徒が答えた形になった。
「救出しないと」
「馬鹿言え! ここで爆発が起きたんだ、化学科の実験準備だったんだろ。どんな薬品使ったか分かってるのか?」
「む~。でも、それって、ここにいても同じじゃぁ……」
 普段から子供っぽい楓だが、そこはそれ、化学専攻をしているだけのことはある。爆発を引き起こした薬品の残留物と副産物が蔓延しているだろう事も分かっている。だが、元が分からないだけではなく、既に扉が開いているのだ、この場にいること自体危険を伴っているのは事実である。
「よし。おっ! 明子、引っ張ったら危ないじゃない」
「楓。何無茶な事しようとしてるのよ」
 飛び込もうとした楓の左腕を掴んで引き止めたのは明子である。
「あんで止めるのよぉ。中に誰かいる筈だよ。早く助け出さないと手遅れになっちゃうかも」
「楓。警備員だってもう来るだろうし」
「……待ってて良いのかなぁ」
「えっ?」
 楓の呟きに、明子は聞き直す素振りを見せるが、楓の言い分ももっともであり、明子の言い分ももっともである。
――近い筈なのに……。明子……。分かってるんだけどねぇ。! 嘘。こんな時でも?
 見計らったかのように、狙い澄ましたかのように楓に痛みが走ったようである。
――所かまわずって、こういう事だ……よね。誰かが……誰かが、怪我をして……いるかも……しんないのにぃ。
「楓? どうしたの?」
「ううん。何でも……ないよ」
「嘘。また始まったのね。駄目よ、絶対行かせられないわよ」
――明子……。でもね。でもね。楓ちゃんの痛みより、きっと、爆発に……合った人の方が……痛いんだよ。それに、死んじゃうことだって……あるんだよ。
「!」
 楓の思いを見透かしたかのように、明子の掴んでいる手に力が加わったのを感じる。
「明子……」
「駄目よ。楓が怪我したら。聖美、大泣きするわよ」
「またまたぁ」
――でも……。
「あっ。痛みが……」
――……なんだろう、この感じ。……空虚? って言うのかな、何かがなくなったような、う~ん。ま、いいか。
「……大丈夫、だよ」
「えっ?」
「痛みは治まったよ。それと、既に飛び込んじゃってるじゃん」
「それは男子達でしょ?」
「……関係ないよ。誰かが怪我してるんだよ。警備員は、まだ来ないし……。奥の方じゃなくても、人がいたらこっちに出してあげようよ。中にいるよりは、空気がマシだしね」
「楓……。そう、かもしれないわね。全く……」
「誰か手伝ってくれ!」
 ラボ付近からなのであろう男子生徒の声が届いてくる。その声に、残っていた生徒の中から率先して楓が動いた。頭でもかきそうな雰囲気の明子もそれに続き、扉近くまで運んできた研究員を連れ出し始めた。
 数分後。
 遅れて到着した警備員と供に、飛び込んだ生徒達と居合わせた生徒達が協力して、ラボにいた全員を救出する事に成功した。

     *

 学生会館の一階にある談話室とその周辺には、実験棟から避難した教授や研究員と生徒で溢れていた。皆、必死で逃げたのであろう事が分かる程に疲れた表情をしている。幸いなことに、実験棟からの非難で怪我人はでなかったようである。三~四階にいた一部に、回った煙でのどに違和感を持った者が出た程度である。
 既に、爆発事故から一時間ほどが経っていた。
 怪我人は、当事者であるラボにいた数人の研究員だけである。軽い火傷、ビーカーなどのガラス片による裂傷など程度の差はあれ、全員が吹き飛ばされた際の衝撃による脳震盪による目眩などを訴えている。それでも緊急手術が必要な者がいなかったのは不幸中の幸いである。
 その中に、楓にとっては見慣れた人物がいた。
 貴人……、枯下貴人である。
 外科医療室のベッドに横たわっていた。そのベッドにあるコンソールに表示されているのは文字や画像である。今現在の身体の状態を示していた。
 傍らには、貴人が怪我をしたと言うことで呼び出された清美……。枯下清美がいた。心配そうに、今にも泣き出しそうな表情で貴人を見つめ椅子に座っている。
「……あの」
「……」
「……先生も大丈夫だって言ってらっしゃったし」
「……明子ぉ。それは無理、だと思うよ」
「あ、ご、ごめんなさい」
「……あ、いえ。この度は救助に助力いただき、ありがとうございました。貴人に変わり、お礼を述べさせていただきます」
 立ち上がり、深々とお辞儀をする清美だが、何をするにも華があるとはこのことであろう。立ち上がる仕草も含めその全てが自然であり、そこはかとない優雅さが感じられるようなお辞儀の仕方に明子は……。
「……い、いえ。お礼を言われるほどのことでは……」
「ですが、以前のこともありますので……」
「はぁ……」
 どうも落ち着かない明子である。お嬢様口調で喋る清美に、どう接したらいいのか戸惑っている様子である。薫とはまた違うタイプである。その一方、貴人について一言も発していないのは楓である。貴人にも何か考えがある、とさえ言ってのけたのにである。
 研究員の中でも怪我の程度が酷い部類の貴人は、脳震盪が一番酷くまだ意識が戻っていない。しかし、医者からは入院する必要はないと診断されている。
 その意識が戻らぬ傍らで、会話が途切れた時……。
「……うっ」
 小さい呻き声が貴人から漏れる。
「……お、兄さん?」
「……うっ。き、清美?」
「はい。う、うぅ……」
 ぼんやりしている貴人の意識は、次第に遠くまで認識ができるようになる。
「! 君は……」
「……えぇ、この二人は……」
「無様な姿を、笑いに来たのか」
「……な、何てことを……。山田さんと藤本さんは、お兄さんの救出を手伝ってくれたのですよ」
 清美は涙声であったが、楓と明子が恩人であることを告げる。その言葉に愕然とする貴人は、いつも合う度の態度が態度である。言っていることを返されたとして、誰に文句が言えるのか。貴人の言葉には、そう言う含みが見え隠れしているが、言ってしまった言葉もあり、顔を背け、視線を逸らす貴人であった。
「……助けてくれたことには、感謝……する」
 ばつが悪いことこの上ない。それでも礼を述べられるのだ、心底楓を嫌っている訳ではないのだろうと言うことが分かった。
 礼を述べられた事で、楓もほっとして笑みが漏れる。
――やっぱ、嫌われてる訳じゃぁなったんだね。……とすると、何であぁなんだろうか?
「……清美さん。良かったですね。意識も戻ったことだし、あたし達はこれで……」
「本日はありがとうございました」
「失礼します。明子、いこ」
 医療室を後にした楓と明子は、未だ避難している研究員や教授達の間を抜けて学生会館を出て行く。
「明子?」
「……はぁ。何かしらねぇ、枯下って男は……。薫の言うとおり、どうにもならないのかな」
「まぁまぁ。怪我はしたみたいだけど、無事だったから良いんじゃない?」
「そうなんだけどね。……でも、まぁ、ばつが悪そうに……。ぷっ。くくく」
「……確かに。いっつも、あぁだと良いんだけどなぁ」
 明子は、少々腹を立てているようではあるが、ばつが悪いなりに礼を述べるなど、いつもとは違う弱い一面が見られたことで帳消しにしたようである。
 楓は、無条件に毛嫌いされての態度ではないと感じられたことが嬉しかったようである。それでも、何故あそこまで邪険にされるのか、本人に聞かなければならないことである。
 もう一つ。楓には、ちょっとだけ気になることがあった。痛みを覚え、いやだと思った際に感じた空虚感……。この先も抱えることになる痛みとどう関係しているのか。

~第五章 「解放」 完
縦書きで執筆しているため、漢数字を使用しておりますことご理解ください。
下記、名称をクリックすると詳細を展開します。
ふじもと かえで
藤本 楓
西暦2108年12月25日生まれ・身長/体重:165㎝/50㎏
職業:専課学校 基底学部化学科5年生

 藤本家の長女で、両親と三人暮らし。
 性格は、子供そのものと言える性格である。しかし、それは、喜怒哀楽全てを表現するためであり、20歳として知識、知能が低い訳ではない。また、人見知りもしないため、誰とでも仲良くなれる。
 食事、食べ物の好き嫌いはないが、ケーキなどの甘い物が好物。
ほんどう かおり
本藤 薫
西暦2108年12月25日生まれ。身長/体重:167㎝/50㎏
職業:専課学校 基底学部物理科5年生

 本藤家の長女で、両親と三人暮らし。
 性格は、母親のように優しく、時には厳しく、しかし、本質としては優しさを多分に持ち合わせている。楓にとっては、無くてはならない親友になっている。
 食事、食べ物の好き嫌いはないが、ケーキなどの甘い物が好物。
いわま さとみ
岩間 聖美
西暦2108年08月13日生まれ。身長/体重:170㎝/55㎏
職業:専課学校 基底学部物理科5年生

 両親、姉と四人暮らし。
 性格は、子供っぽい所もあるが、二〇歳に何とか相応しい女性だが、楓に似た所もあり、類は友を呼ぶ、を表した友人の一人。
 嫌いな食べ物は、肉だが、当然、甘い食べ物には目がない。
やまだ あきこ
山田 明子
西暦2108年06月21日生まれ。身長/体重:172㎝/58㎏
職業:専課学校 基底学部化学科5年生

 両親、姉弟と五人暮らし。
 性格は、長女であるだけに、しっかり者で、世話好き。だが、おっとりしているわけではない。その辺は、弟を持つが故なのかも知れない。
 女性としては珍しく、見た目からは創造しがたいが、どっしりした印象を受ける。薫以外の姉役、と言える。やはり、楓の危うさを見ていられないと言ったところか。
 好き嫌いはない。その中で一番の好物は、和菓子。
こもと たかと
枯下 貴人
西暦2104年11月20日生まれ・身長/体重:175.4㎝/65㎏
職業:専課学校 化学科の研究員

 両親、姉と四人暮らし。
 枯下家の血筋の所為か、物事、事象を理論的に考える事が多く、事象に対しては、原因が必ずある、そこから考える。
 故に、冷徹、と言われるほど冷たい態度を取る。
 刺身が大好物であるが、煮魚が嫌い。
こもと きよみ
枯下 清泉
西暦2107年12月15日生まれ・身長/体重:170.2㎝/55㎏
職業:専課学校 基底学部化学科6年生

 両親と三人暮らし。
 枯下家の血筋なのであろう、化学畑に興味を示し、今に至る。
 どちらかと言えば内気な性格であり、また、思いやりも持っているためか、自分の主張を最後まで貫くことが出来ない。
 野菜料理が好きで、鶏の皮が嫌いな食べ物である。
楓の母
 性格は、優しく、時には厳しく、しかし、本質としては優しさを多分に持ち合わせている。
 食事、食べ物の好き嫌いはないが、ケーキなどの甘い物が好物。
かんこうえつえりあ
関甲越エリア
 関東甲信越を短縮したエリアの名称。
 東西は千葉・神奈川から新潟、南北は群馬・栃木から長野・静岡の一部まであるエリア。
 地理的中心地を起点に同心円を描いて交通ルートが確立されている。
 住居表示は従来のままであるが、使用することも可能。
あつぎびーびー
厚木BB
 厚木とは、神奈川県の中央部にある地名。
 楓達が通う学校が含まれ、関甲越エリアにある企業地区の一つ。

 中小企業から大規模企業まで様々。
ゆりがおかえるびー
百合ヶ丘LB
 神奈川県東部、百合ヶ丘を中心にした居住地区。東京都の境も含まれる。
 楓と薫りの家が含まれ、関甲越エリアにある居住ブロックの一つ。

 全高層集合住宅は南向きに建っており、各高層集合住宅には周囲に緑地公園を持つ。
あつびーびーせんかがっこう
ATSUBB専課学校
 楓と薫が通う学校で、場所は、関甲越エリア、神奈川、厚木にある。
 基底学部として、化学、物理学、自然の学科を持つ専課学校。
 建物としては、講義棟が3つ、実験棟、学生会館、学校事務棟が各々1つがある。
ふじもとけ
藤本家
 楓と両親が住む家。
 この時代、一戸建ては存在しておらず、全てが集合住宅となっている。
 藤本家は、関甲越エリア、神奈川、向ヶ丘にある、第十住宅と呼ばれる、2階屋タイプ-21階建ての中層集合住宅、14階のW07号室に住んでいる。
ちれん
地連
 2100年に設立された国際連合に変わる組織で、地球連合の略。
 国の代表という位置付けから、地球国家への脱皮途上の組織である。
 故に、各国の上位に位置する国と言い換えてもよい。
あーく
ARCC
 100年ほど前に設立されたアジア圏の警察部門。
 Asia Range Criminal Consultant(アジア圏捜査顧問)と呼ばれる警察部門の略名。
 現在では、規模が縮小され1~5までと、特殊部隊が残るのみである。
あぺっくす
APECS
 100年ほど前に設立されたアジア圏を監視する統括組織。
 Asia Peaceful Enterprise Community System(アジア平和事業機関)と呼ばれる組織の略名。
 現在では、地球連盟機構の一部所の扱いであるが、名称はそのまま継承している。
グランド・バス
 主に、各集合住宅を起点とし、学校、ショッピング街、ビジネス街、レクレーション施設などを繋ぐ、公共機関。
 路線バス、近郊電車の置き換えられたもので、短距離、中距離の利用を目的とした移動手段。三両以上の連結タイプ。
 燃料は電気で、燃料電池を使用、駆動は独立リニアホイールモーターで、ホイールには、ゴムタイヤを履く。
 また、レールのような軌道を持たないため、20世紀に存在した、4WS(four-Wheel Steering)を全車両(4輪ではないため、All Wheelとなる)に搭載し、タイヤの舵角をコンピューター制御する。
あいはんど
iHand
 腕輪(腕時計)タイプ、ハンディ・タイプなどのiRoboの子機(子端末)であり、家族全員分ある。

 燃料は電気で、超小型の燃料電池を使用する。
 映像電話(ビジフォン)。所謂テレビ電話のことである。
 学歴や職業、果てはスケジュールまでを管理できる、個人情報管理。支払い機能。
 個人を特定する必要がある場合、セキュリティ機能により、ほぼ完全に安全を保証し、通信は、無線を使用する。
 表示は、iHand天板の液晶、あるいは、大型の液晶にて行う。
あいろぼ
iRobo
 各家庭には、iRoboと呼ばれる、情報端末ロボットが置かれる。

 燃料は電気で、燃料電池を使用、駆動はボールリニアを使用する。
形状は、下半分の駆動部が球形で、上半分が立方体。ダルマをイメージすると分かりやすい。
 家族、住宅、支出などの管理機能。
 情報、家族の体調などの情報収集と分析から、話し相手までをこなす。
 話し相手機能に至っては、家族の性格から個性のような物が生まれている。
 家族各人が持つ、iHandの管理も行っている。
えりあ
エリア
 道州制を拡張改定した考え方で、太平洋側から日本海側を一纏めにしている。
 道州制の場合は、どうしても東京を中心に考えがちで、周辺の過疎化を避けられない弱点があったため、新たに提唱された思想。
 大動脈を地理的中心線に置くことができ、分散にも適している。
きかがっこう
基課学校
 基礎課程を学ぶ学校を指す。
 学問の基礎はもちろんのこと、忘れがちになる人間性を育む基礎も含まれている。
 21世紀の小学校、中学校が九年一貫教育に置き換わった物と考えてよい。
せんかがっこう
専課学校
 専門課程を学ぶ学校を指す。
 21世紀の大学、専門学校が置き換わった物と考えてよい。
 尚、入学年齢は21世紀の高校と同じ。よって、高校以上と言うことになる。
いりょうしつ
医療室
 専課学校の保健室は概ねこの施設。
 専門の学問を学ぶ上で、怪我、火傷等々学部によって緊急で治療が必要になることが希にある。
 そのため、それなりの設備が整えられていることから、保健室ではなく医療室となった。
びーびー
BB
 ”BB”は、Business Blockの略語で、企業を集中させたブロックになる。
 理由は、昔からあった共同開発を増やす狙い、若者を早い段階で社会に参加させる狙い、などにより、遠くより近くが良いであろうと言うことで、この配置を採っている。
 結果、集まった企業は、概ね専課学校の学部が中心となった。
しーびー
CB
 "CB"とは"Commerce Block"の略で、商業ブロックに当たる。
 この商業ブロックには、大きく二つの役割がある。
 一つ目は、大商業施設、または、ブロック全体が大型のショッピング・センターとしての役割。
 その中には、移動拠点としての宿泊施設も併設されている。
 二つ目は、交通ルートを纏めるターミナルとしての役割。
 交通ルートには、大きく三つ。
 エリア中心地とを結ぶルート。
 近隣の企業ブロック、住宅ブロックとを結ぶルート。
 その三つを纏めたターミナルの役割を担っている。
えるびー
LB
 "LB"とは"Life Block"の略で、居住ブロックに当たる。
 マンション、アパートの減少により、住宅地が大分変貌している。
 空き住宅地と一戸建て地区をまとめ、2階屋、3階屋が、高層の集合住宅に置き換わっている。
 日本では窮屈な住宅空間であったが、空き住宅地の恩恵に預かり、ゆとりある住宅空間を実現している。
 居住エリアには、必ず緑地公園が設けられ、心地よい生活を営めるようになっている。
だい?じゅうたく(こうそうしゅうごうじゅうたく)
第?住宅(高層集合住宅)
 高層集合住宅のことをさすが、マンション、アパートとは趣が少々違っている。
 従来の一戸建てを改装に積み重ねた高層住宅となる。
 一階建てから三階建てまであるが、二世帯住宅はない。
 地名+施工番号+住宅で呼ばれることが多い。



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