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窓から差す暖かな光と反射。その反射によって織りなされる微かな緑色も加わったほどよい明るさの室内。目に飛び込んでくるのは、光の具合で変化する天井と壁の凹凸。光のいたずらとも思えるほど豊かな表情は、心を和ませてくれる。
ここは六畳ほどの部屋で、ドアの斜向かいには木の温もりを感じさせる色合いのベッドがある。そのベッドには、ちょこんと載ったように見えるこじんまりした鼻を持った、丸顔を少しだけ細面にした人物が、穏やかな寝顔で横たわっていた。
楓である。
傍らには、楓の両親が心配な表情で付き添っていた。
現状に至るには、二時間程前に遡らなければならない……。
楓を抱えた利樹と薫の二人で何とかベッドに運び込んだのが二時間程前である。その後、iRoboから連絡を受けたのであろう、早退した父親が帰宅したのが一時間と三〇分程前である。
「楓!」
荒々しくドアを開けて、慌てふためきながらの帰宅であった。
階下からの開口一番、娘の名を呼ぶ声が響き渡り、その慌て振りが楓への愛情を物語っていた。そして、壊さんばかりに楓の部屋のドアが開かれ……。
「楓!」
「落ち着いて下さい。楓は、まだ気が付いていないのですから」
慌てふためいて入ってきた父親。
目尻が多少垂れており細い部類に入る目。鼻筋の見えないこぢんまりした鼻で、丸顔を少々引き締めた輪郭である。頭髪は、短くした茶の入った黒である。
体格的には利樹より高い身長は一七八・七センチあり、この時代では標準的だが恰幅もありひょろっとした印象はない。
正に楓の父親といった顔立ちをしているのだが、如何な薫が穏やかに話そうとも親である。そうそう落ち着くことなど出来ない相談であろう。
「……あぁ、本藤、さん。すまない」
若干微笑んだように見える薫に、利樹は、両家の親密度を伺ったように感じた。
「あ、え~と、そちらは……」
多少落ち着きを取り戻したのか利樹に気が付いたようである。だが、多少の面識がある程度なのであろうか、どうやら名前が出てこないようである。
唸る楓の父親を、目線を上げて見やる利樹は、必死に思い出そうとしているのを見て……。
「森里利樹です」
「……あぁ、森里さんでしたね。お二人共、今日はありがとう。母親の分も含めて礼をします」
「お礼だなんて、おじさん。私は大丈夫ですよ、友人ですから……。ですが、森里さんのデートを中断させてしまったのが、少々気になっているのです」
「い、いえ。デートなどと大げさです。知り合いのお嬢さんとぶらついていただけですから」
「森里さん。それはあの方に失礼です。二人きりなのですから、デートと言うんですよ」
薫の説明に、頭をかいて困り果てる利樹であった。
「うふふ。それではおじさん。私達は失礼します」
「え? 本藤さんはまだ残っていた方が良いのではないですか?」
「……?」
「あ、いえ。お父さんだけでは不便なこともあるかと」
「これは、お気遣いありがとう。お二人のおかげで少し落ち着いてきました。それに間もなく母親も帰ってくるでしょうから大丈夫ですよ」
そう言われてしまえば、利樹とて無理を通す事も出来ず、挨拶もそこそこに、薫と共に藤本家を後にしたのであった。
二人が帰った後しばらくして、楓の母親も帰宅した。
肩より長いストレートな黒髪を振り乱し、部屋に入るなりベッドの傍らに跪いて娘を抱きしめる。
普段と変わらない寝顔は、しかし寝ている訳ではないのである。それが辛く悲しいのであろう、うっすらと涙を浮かべていた。親であるにもかかわらず、この状態をどうにかすることも出来ず、只、目覚めるのを待つしかないのである。
「楓……。何故この子が、こんな事にならなくてはいけないの……」
目尻が多少垂れている細い部類に入る目に、涙を浮かべ嗚咽を混じらせ、誰にともなく呟く母親がそこにいた。その一方で、手は楓の髪を撫で続けている。娘を思う心が痛いほど伝わってくる。
「今は、何もしてやれない……」
そう呟いたが、未だに立ち尽くしたまま娘を見下ろす父親……。その想いも、きつく握られた拳が語っていた。
「……あなた。……移住しましょう」
楓の髪を撫でながら、ぼそりと呟くその目に涙を溜めたままの母親……。
原因不明の楓の痛み、住居を移したとして果たして解消されるのか、それは分からない。そうは言っても、手を拱いて見ていることなど出来ない相談であろう。一方で、痛みの原因が分かっていない以上、無力であることもまた事実である。それらの思いが、更に母親の心をせき立てるのかも知れない。何も出来ないと知りつつも……。
「それも選択肢ではあるが、おいそれと出来るものではない。もう少しだけ様子を見るしかない」
「でも……」
二の句が告げられない母親は、楓の髪を撫で続ける。その目には一段と涙が溢れていた。
沈黙が部屋を包み込む中、両親の目は楓から離れない。
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淡い光が移り行く。薄暗く、判然としない場所。その淡い光の中に浮かび上がる人影があった……。二人ほどが対峙していると思われるのが辛うじて判別できる程度であり、表情までは判別できない。
「これは……。余りにも……。余りにも行き過ぎなのでは?」
「何故……。何故、こうなるのか」
語り合う人影。いや、思いを告げているだけにも聞こえる。何を思い、何を語ろうとしているのか。薄暗い中では、今の表情ですら伺う事は出来ない。
「もう、猶予はないのでは? 発動すべきだと考えるが」
「何故……。何故、安定しないのか……」
発言と発言。それは、反目しているが故の発言か……。そう取ってしまいたくなる言葉。あるいは、自問しているだけなのか……。
「このままでは問題が多発する。やはり、早急に発動すべきだと考えるが?」
切迫した状況なのか、一人の人影が同じ言葉を繰り返す。そこには、主張を聞き入れさせる意図が垣間見える。
各々の言い分が目立つ発言には、そもそも向き合って何かを議論している会話なのか、薄暗いからと言う理由だけではなく言葉からも伺う事が出来ない。
「それは出来ん。発動のしすぎである」
「それが……。それが、宿命であるのかも知れない」
悲しみを湛えた言葉……。宿命という言葉には重みもまた含まれているようである。その事象が、逃れられないものであると言うことであるのだから……。
「この程度なのか!」
会話の中で、初めて露わにされた激しい感情。諦めと期待、相反する気持ちが込められた言葉……。語気が強いのは、期待が大きいからなのか……。
「……そんなことはない筈ですよ」
遠く、それでいて近くから聞こえてくる声……。不意に現れた新たな人影は、穏やかな言い回しで話しかけているようである。
「お前は、ここに来るべきではない」
介入者を視線で追うこともなく、その言葉からも口調からも、強い拒否の意思が感じ取れる。敵対関係にあるのか、あるいは追放の身にでもなった者であるのか……。
「何故。そんな筈がないのか?」
拒否を無視してもう一方の人影が投げかける言葉。いや、肯定する意思表示として投げかけられたとも言える。それほどまでに興味を引く言葉であるのか。
「まだ、余地がある筈だからですよ」
「このような状態が何度あった事か……。もう、既に余地などない」
先ほどより近付いたのか介入者の声は力強く答える。それに釣られたのか、介入の拒否を示していたにもかかわらず言葉を紡ぎ出す。それほどまでに、介入者の言葉に何かがあると言うことなのか……。
「何事も、一夜にして出来るものではないですよ。成熟が穏やかだからです」
「成熟をしているように見ない。することもないだろう」
「未だ、成熟の兆候は確かにない。見えてこない」
訴え続ける介入者……。何かを護ろうとしているのであろうか? 一体何を……。
それを真っ向から否定する二つの人影。それでいて、介入者を追い出す行動を取らない人影は何を考えているのか。
「目に見えなければならないのですか?」
「見えなければ、次はない」
問いに対して発する見放した言葉……。言葉の端々から滲み出る諦め……。もう、長いこと感じていたと言いたいのか、いや、確信してさえいるように見受けられる。
「本当に、見えなければ何も始まらないのですか?」
介入者は、質問者になっていた。何かを諭しているのか……。いや、質問に対しての答えが、単に質問になっているだけなのかも知れない……。
返す言葉がないのか、答える要素がないのか。答えない人影達……。
「自身を捨て去ってでも、皆を護りたかった……。未来を紡ぎたかった……」
ふと、口をついて出たのか。一人の人影が反芻するかのように、思い出したかのように呟く。その呟きは、その場にいる全員に染み込んで行く……。
「何の話か?」
「繋がった未来……。紡ぎ直したした未来……。まだこれからなのかも知れない」
明らかに質問ではない。何かを思い出し紡いでいるだけのようである。まるで、何かに取り憑かれたかのように……。だからなのか、何かを思い出しているからなのか、もう一人の人影からは返答がない。介入者もまた次の言葉を紡ぎ出さない。
「今は、悩みの時……。そう、悩みの時。己で答えを見つけるまで悩まなければいけない」
「そうなのか。悩みが不安定を生むのか?」
紡ぎ出され続ける言葉……。心の奥底に眠っていた言葉に、気が付き紡ぎ出されたかのように……。
「どうやらそのようです」
「……ならば、もうしばらくはこのままでいることにする」
そう結論を出す人影。その言葉に介入者も納得したのか、その場から去って行く……。
~第三章 「憂い」 完
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