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「ふぇ~。疲れたぁ~」
「もう。岩間先輩。しゃきっとして下さいよぉ」
「え~。疲れたじゃん。美也は疲れてない?」
「それは、疲れてますけど……。けど、先輩みたいに全身で訴えたりはしません」
けだるそうに、精根尽きたような足取りで食堂にやってきた聖美に、美也が恥ずかしいと言わんばかりの言葉をかけると、「え~」と子供じみた抵抗をする聖美がいたのである。
「あら。二人一緒なのね。席を取っておくわね」
「あぁ、明子。ありがとう」
「あっ、そんな。先輩に席取りだなんて」
「先に来てるんだし、気にしないでいいわよ、美也ちゃん」
そう言った明子は、スタスタと美也の次の言葉を聞く前に二人から離れて行ってしまった。その場に残って、申し訳なさそうな表情をする美也は、聖美に「おいてくよぉ」と言われて逡巡するも聖美の後を追っていったのである。
しばらくして、聖美と美也が配膳カウンターで食事を受け取っていると……。
「聖美と美也じゃない。私も一緒するから待ってなさいよ」
後方から名指しで声をかけられた聖美は、声の主を確認するや少々いやな顔をして、「来たよ」と呟いたところを見ると、あまり顔を合わせたくない人物のようである。聖美の直ぐ後ろに並んでいた美也は笑顔を見せているが、聖美の言葉もあって苦笑いになっていたことに気付いていないようである。
明子が取った四人席にやってきた聖美と美也に明子が尋ねた。
「ちょっと大きな声で、二人に声を掛けてたのは誰?」
「ん? ちょっといやな女だよ」
席に座りながらそう応えた聖美の表情は、いやそうな表情であった。
「聖美ぃ。それじゃ説明になってないわよ」
「……」
明子の突っ込みに、答える気がなさそうな聖美であった。
「え~とですね。岸田博実さんと言いまして、お二人と同学年で、物理学科を専攻しています」
「へぇ。あの様子だと、聖美の友達って所?」
「断じて、違う!」
「あらま。そこまで否定するとは、犬猿の仲なの?」
そんな話をしていると、ガタッと椅子を引いて何食わぬ顔で聖美達に合流したのは、今し方話題にしていた岸田博実である。
「ほら。失礼な奴だよ」
「……」
「ん? こんにちは」
その礼儀を無視したような行動に、ぼそりと呟いたのは聖美である。それが聞こえたのか隣に見慣れぬ人物がいたことに気が付いたようである。
聖美が言っている失礼とは、挨拶はともかくとして、初対面でなくとも加わっていいのかを確かめると言う極当たり前のことをしない女性であるところのようである。
「……初対面でそれは失礼すぎ」
「そう? 聖美の友達でしょ、大丈夫よ」
「はぁ。薫の爪の垢でも煎じて飲ませたい」
「それは魅力的ね。賢くなれるかな」
聖美の突っ込みに、怒るでもなく反論するでもなく、斜め上の回答をしてきたのである。そのやり取りに、明子は頭を抱えたくなったようで首を横に振っていた。正に、楓との口喧嘩のように、真っ向から受けて立っている聖美にとっては相当にいやな部類になることであろう。
「ぶ~」
「そ、そう言えば、三日前の行方不明者ってかなりの人数でしたよね」
「そうねぇ。あっ、そう言えば日曜日には、先々週の不明者が戻ってきたそうよねぇ」
ふてくされながら食事をしている聖美に、美也が慌てふためきながら話題を変えようとする。そこに明子も乗っかったのだが……。聖美は何も語らず、黙々と食事をしていたのであった。
「いっぺんに一〇〇人なんて凄いですよね」
「そうそう。これまでの最多だって言うじゃない」
「そうね。でも、巻き込まれない物理学科で良かった」
突然会話に加わってきた博実がとんでもないことを口走ったため、聖美が話しに加わってこないか気がかりとなって、美也と明子は引きつり気味の表情になっていた。
「そうだねぇ。でも、何で自分が含まれないんだろ……」
憂鬱そうな、悲しそうな表情で語る聖美の言葉に、別の意味で危機感を抱いた美也と明子の手が止まった。
「ど、どうしたんですか。先輩らしくなく……なくもないですね」
「美也ちゃん。もう……。そうねぇ、大部分が芸術学部だし……。あっ」
聖美の口調に、一瞬いつもとは違うように感じた美也だったようだが、結局、内容に納得したような表情であるのに対して、明子は呆れてしまい言わずとも良いことまで口にしてしまったようである。
「そうだ……。今から学部変えてくる!」
「何を言ってるの聖美。そうほいほい変更なんて出来ないでしょ。それに、喚いたところで聖美が不明者に加わることもないんじゃないの?」
「……そっか。そだね」
聖美が上げた声に周りが反応したが、博実の言葉にある程度納得したのであろう聖美がいた。しかし、聖美の表情はさえないままであった。
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「美也」
「何ですか?」
「この定義方法だと、駄目っぽくない?」
「そうですか? む~。私の知識だと微妙ですねぇ」
聖美が喚いた日から二日が経っていた。未だに聖美を始めとするATUSBB専課学校に止まっている生徒達は、上空に鎮座している建造物の調査を続けていた。しかし、これと言った成果は出ていなかったのである。
「う~ん」
「すいません、先輩。私じゃ力になれなくて……。すん、すん」
「……うわぁ。美也、何で泣くぅ……。え~と。う~んと。調査が上手くいってないのは、美也だけの所為じゃ……。あれ? じゃぁなくて」
「うわぁ~ん」
美也を宥めようとして墓穴を掘ってしまった聖美は、狼狽えておろおろするばかりであった。聖美の様子から察するに、どうやら、いつもの聖美らしい状態に戻っているようである。
聖美も必死に先輩をやろうとしているのであろうが、構えすぎているためなのであろう、逆に失敗を繰り返す羽目になっているのかもしれない。一方で、建造物の調査は、この学校だけではなくどこもかしこも似たようなもので、遅々として進んでいないようである。
美也を宥めようとしておろおろしていた聖美が、ふと窓から見える建造物に目が留まった。泣いていた美也が、唸り声の止んだ聖美に気が付いて声を掛けた。
「……先輩?」
美也が涙を拭きながら聖美の顔を覗き込む。その視線は、窓越しに見えている建造物に対して敵意を含んでいるように見えたのである。
「! あ、あの。先輩? 今思いついたんですが、一部分を変えると物理法則的には何とかなるんじゃ、ないかと……」
「ふっ。あ、ごめん。あに?」
「……先輩? 大丈夫です?」
「あにが? あぁ、ごめんごめん。大丈夫! で、何をどうするって?」
心配しているのであろう表情の美也に、いつもの明るさをもって返す聖美であった。ある意味、聖美のやせ我慢と言ったところであろう。
「ここですよ。これをこう変えると……。どうでしょう」
「ふむ。……あっ。美也、ごめん。それだと法則が破綻する」
「はぁ、駄目ですか。……上手くいきませんね」
「……やっぱ、地球の物理学は、通じないのかなぁ……」
美也の提案もあっさりと却下することとなってしまい、項垂れてしまう二人であったが、ぼそりと聖美が別の観点を呟いていた。
「駄目です、先輩」
「は?」
「落ち込んでる暇なんて、ありませんよ」
美也自身ですら先程は泣いてしまう程だったのに、聖美を元気づかせようと拳を握って気張ってみせる。そんな美也を見た聖美にも笑みが漏れていた。
意気揚々と定義を練り直そうとした矢先、「ピンポーン」と放送が入った。
「調査中に失礼します。学生連絡会から情報が入りましたのでお知らせします」
「何か進展あったのかな?」
「先輩。シー」
後輩にまで注意されてしまう聖美は、どうしても感想を述べたいようである。
「学生連絡会の情報によりますと、西暦二一二八年九月一四日の夜に通達があったとのことですが、その内容については、月の表側にある基地からの観測情報が入ったとのことです。ですが、まだ全世界に向けて公開されていない情報ですので、取り扱いにはご注意下さい」
学校からの連絡事項としては珍しかったため、ラボ内でも「珍しく注釈付きか」や「それ程重要と言うことだろ」等々ややざわめきだってしまったようである。
「静粛にしてお聞き下さい。月基地からの情報によりますと、地球の上空には異常な現象も事象もなく、地上から見えている物体も観測が出来ないとのことです」
一泊遅れて騒然となるラボ内。見えているものが見えないと言われたのである、とうてい受け入れられるものではないであろう。
「うそだぁ!」
大声を上げる聖美の声に、一瞬静まりかえるラボ内だったが、「そ、そうだ。あり得ない」や「いや、待て。宇宙から見えないように遮断しているのかもしれん」等などと動揺が垣間見えながらもやや冷静に議論が始まったようである。
「……じゃぁ。あれは何? 見えてるあれは何なの!」
研究員や生徒の論争に加わることなく、喚いていた聖美が、“ドン!”と実験テーブルを叩いたのである。
「……すん。薫と……楓は、何処に……いるって……言うの」
実験テーブルを両の拳で叩きながら泣きじゃくる聖美の言葉に、近くにいた研究員と生徒は黙り込んでしまったようである。傍らにいる美也も、釣られたのか泣いていた。だが……。
「先輩。落ち着いて下さい」
「うぅぅ」
「……落ち着いて……下さいよぉ」
美也が聖美の背後から服にしがみついて訴えかけるも、聖美は聞く耳を持たず、実験テーブルを叩き続けている。一方の美也は泣き崩れ、その場に座り込んで泣き続けるのであった。
「五月蠅いわ……」
そこに一〇二ラボに入ってきた博実が、拳をテーブルに叩き付けている聖美を目にし、「なんで誰も止めないの」と文句を一つ呟くが、誰一人として動く者はいなかった。
テーブルを叩く聖美と、崩れても尚泣き続けている美也が博実の目の前にいた。
「聖美! 止めなさい!」
博実の忠告を無視するかのようにテーブルを叩き付ける様は、かんしゃくを起こした子供のようでもあった。
振り上げた手をテーブルに叩き付ける前に腕を捕まえた博実に、やっと反応を示した聖美であった。
「止めなさいな。……こんなに赤くして、痛いでしょうに」
その言葉に、更に涙が溢れてくる聖美は……。
「あれは、ないの? 見えている……のは嘘? 薫と……楓は、何処? うわぁ~ん」
正気に戻ったのか、まだ戻っていないのか判然とはしないが、聖美が言いたいことは博実に伝わったようで、いつにない笑みを零していた。聖美の腕から力が抜けたことを理解した博実が、聖美の拳をさすっていた。
言いたいことを言ったからなのか、優しさに全てを晒してしまったのか、聖美が大泣きする一方で足下に座り込んでいる美也も大泣きしていた。
ラボにいた研究員も生徒も、その泣き声を前に黙ることしかできなかった。
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薄い雲に覆われた空から、幾分か緩んだ暖かさと共に明るさが降り注いでいた。
月基地からの情報に聖美と美也が大泣きしてから二日が経っていた。
「う~」
小さく唸り、ふらふらした足取りで食堂を訪れようとしている人物がいた。
「はぁ。……いけない。今日も気合いを入れないと」
息を漏らしたが気を取り直して、それなりに元気よく食堂を訪れようとしている人物がいた。
「ん! 今日は、まぁまぁの天気ね」
軽く伸びをしながら、元気よく食堂を訪れようとしている人物がいた。
「あら? 美也ちゃん?」
「……あっ、おはようござ、とっとと」
「あん、美也ちゃん。階段でお辞儀するのは危ないわよ」
「そ、そうですね。改めて、山田先輩おはようございます」
「ん、おはようって、美也ちゃんの前でふらふらと登っているの、聖美?」
「……」
明子が声を掛けたにも関わらず、反応を見せない聖美と思しき人物は、ふらふらと階段を上っていた。
「気が付きませんでしたが、その後ろ姿は確かに岩間先輩。岩間先輩、おはようご……」
「美也ちゃん、どうしたの?」
「……」
聖美に並んだ美也が挨拶の途中で怪訝な表情に変わってしまい、明子の問い掛けに返答が出来ない様子である。
「聖美ぃ。……どうしたのよ、その顔」
「ほへ?」
明子の問い掛けに妙な返事を返した聖美は、徹夜を何日もしたかのような表情であった。
そこにもう一人の生徒が現れたが、こちらはすがすがしい朝を迎えて気持ちも晴れ晴れと言った表情であった。
「おはよう。ん? 何々、二人共どうした? 元気ないぞ」
「あら。おはよう、岸田さん」
「ほ?」
「岸田先輩、おはようございます」
現れた博実に、親しくなったばかりとはいえ挨拶を素直に返す明子。覇気のない表情で未だに状況把握が出来ないでいる聖美が妙な声を出し、やや元気のない美也は何とか挨拶を交わしたようである。
博実は、挨拶をし終えたとでも言うように、三人を残して一人先に食堂へと向かっていった。
「……あぁ。いい臭いが……。ご飯だぁ!」
食堂から漂ってくる様々な臭い。その臭いにやっと頭がはっきりしてきたようで、表情が引き締まる聖美がいた。やはり、何処か子供のようでもある。
「あっ、やっといつもの先輩が帰ってきました」
「ん? あによそれぇ」
「……聖美らしいわね。さ、行きましょ」
配膳カウンターで朝食を取った三人は、空いているテーブルを探していると、「こっちよ」とどこからか声が掛かってくる。
「うっ。なんで声かけんの」
「無視するのは不味いんでしょ?」
「そうですね。学生の外出禁止令が解除されていないですから、ラボでは必ず顔を合わせますし」
「む~。しょうがない」
余り気乗りしない様子の聖美であったが、美也の言う通りで、未だに外出禁止令は解除されていないことから、いやいやながらも同席することにしたようである。明子もややあきらめの表情であり“しょうがない”と言った表情にも見て取れる。
博実も加わって四人で朝食を取っていると、ふと聖美の箸が止まった。
「聖美? どうしたの?」
「……」
かなり集中しているのであろうか、返事をせずに何処かを見続けている聖美であった。
「……昨日夜に発表されました月基地からの情報で、世界各国の至る所で混乱が生じているようです。それから、以前に地上から飛び立った、地連軍による調査が失敗したこと。この二つは関係があるのか、専門家の間でも議論がされていると言うことです」
「そっか、忘れてたけど、地連の調査失敗したんだっけ。月基地って当てになるのかなぁ。……あぁ~、何かもやもやするぅ」
「そうよねぇ、釈然としないのよねぇ」
「そうなんですが……。岩間先輩、暴れないで下さいよ」
「あ~。美也ぁ、酷いよそれぇ」
「……何にせよ、調べるしかないでしょ」
聖美はやや苛立っているような表情を見せ、美也が心配そうな表情を見せている。明子は聖美に同調する姿勢であるようだが、博実は現実的であるようだ。
「……そうだけどさぁ。何にも出てこないじゃん」
「……そうなのよ。地球の物理法則では何か足りないのかもね」
「ん? ……そう言えば。二日前、岩間先輩も同じこと言いましたよね」
「そだっけ?」
「えぇ~。もう忘れちゃったんですかぁ」
「ほほぉ。それはそれは……。聖美ちゃんにしてはいいところを突いてるわね」
美也の言葉に、目を細めながら嫌らしく反応する博実であるが、からかっているようでいてもきちんと聖美を認めているところが憎らしい。
「あぁ、もう。美也ぁ」
「えっ? あっ。すいません……」
聖美に抗議を受けた美也は縮こまってしまったようである。
「あらま。後輩をいじめちゃ駄目じゃない、聖美」
「ぶ~。何さ。……えっとね。怒った訳じゃぁないよ、美也」
言い訳に大忙しな聖美であった。
「……でもさ。地上からは見えるのに、なんで月から見えないの」
苛立ちが垣間見える口調の聖美である。
「う~」
「そうねぇ。科学技術のレベルが違うのかもしれないわねぇ」
「……ん? それって、宇宙人の仕業って事?」
「そうなるのかしら。でも、正しくは異星人ね」
「言葉はどうでもいい。って事は、侵略?」
「……あぁ~。昔の番組見すぎよ」
「ぶ~。……でも。早く……。早く何とかしないと……」
「何にせよ。情報が不足しすぎてるんだから、結論なんて無理じゃない」
聖美達の議論を、情報不足という理由であっさりと結論を出そうとする博実である。
ドン! と唸りながらテーブルを叩いたのは聖美である。その音の大きさに周囲の学生や職員の視線が降り注いだ。
「聖美。止めなさいよ」
ドン! もう一度テーブルを叩く聖美の表情はかなり苛立っている様子である。
「いい加減にして! 苛立っているのは聖美だけじゃない!」
かなりぶっきらぼうな上、強い口調で聖美を戒める博実の表情も険しかった。
「……」
俯いてしまった聖美の表情は窺い知れいないのだが、進展のない調査に加え、博実の気遣いのない言葉に切れかけたのであろう。しかし、フォローしたのもまた博実であり、中断していた食事の残りを食べ始める聖美であった。
博実の一括は、聖美の苛立ちに対する代弁であると共に、聖美の苛立ちもまた同様である。
まだしばらくは、今のような状態が続くのであろうが、生徒はさることながら学校関係者の負担はまだ続くのかもしれない。
~第五章 「混線」 完
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